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指を9本失った登山家、栗城史多さん登山中に死去。アベマテレビに責任は? [芸能人]

登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さんが21日、エベレスト登頂を目指している途中で死亡したという。。35歳。

無念だったろう。寒かっただろう。
栗城史多さんは北海道出身。

登山家として有名だった。
過去に登山中の凍傷によって指を9本失った登山家としても有名だった。


栗城史多さんは4月17日から8度目のエベレスト登頂に挑戦していたが、体調不良で下山途中だった。栗城さんの公式フェイスブックなどで所属事務所が遺体で発見されたことを発表した。


悲劇が生まれてしまった。

登山家が亡くなる事は珍しい事ではない。しかし、有名な登山家で当日生配信する予定だった有名な登山家が亡くなったのは衝撃的だ。



 栗城事務所の小林幸子氏が「このようなお知らせになり、大変申し訳ございませんが、エベレストで下山途中の栗城が遺体となり、発見されました」と報告。



 「下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことからキャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました」と経緯を明かした。

 「生きて帰ることを誓っておりましたのに、このような結果になり、大変申し訳ございません。生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、最後に執着してしまったのかもしれません」とし「皆様へのご報告が遅くなりなりましたこと、心よりお詫び申し上げます。何メートル地点で発見されたかなど、これ以上の詳細が日本で分からず大変恐縮ですが、また分かり次第お知らせ申し上げます。これまで栗城を応援していただき、本当にありがとうございました」と結んだ。

 この日午前10時、公式ブログで「(栗城中継班より)栗城は体調が悪く、7400メートル地点から下山することになりました。今後の行動は未定で、栗城が無事に下山して状況が分かり次第、お知らせいたします。皆様からの応援、本当にありがとうございます」と報告されていた。



栗城さんは大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を制覇し、8000メートル峰4座を無酸素・単独登頂。2009年からは「冒険の共有」としてのインターネット生中継登山を始めた。



 12年秋に4度目の挑戦となったエベレスト西稜で両手・両足・鼻が重度の凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、14年7月に中国・パキスタン国境のブロードピーク(標高8047メートル)に無酸素・単独登頂。復帰を果たした。

 この日午後4時からインターネットテレビ局「AbemaTV」でエベレスト登頂の様子が生中継される予定だったが、中止になった。


この事で栗城史多さんの死去はアベマテレビに少なからず責任があるのでは?とのコメントもありそうだ。。







アベマテレビは5月18日、登山家・栗城史多氏がエベレスト(標高8848メートル)に登頂する様子を生中継すると発表した。中継は5月21日16時からの予定だった。



過去に7度、エベレスト登頂を目指すも叶うことがなかった栗城氏。4度目の挑戦となった2012年10月では、下山途中で両手、両足、鼻が重度の凍傷になったことが原因で、右手親指以外の両手9本の指全て、第二関節より先を失っている。

それでも諦めず、2015年10月、2016年10月にも挑戦を試みた栗城氏だったが、天候不良が原因で惜しくも登頂には至らなかった。

今回8度目の挑戦となる登頂について栗城氏は「無事に標高7300mまでの順応終えて下山してきました。もう少し上まで上がる予定でしたが、悪天候でキリの良い場所でやめました。7300m地点から、今回トライするルートも確認できました。(ルートに関してはアタック直前に発表します。それだけ慎重にやっています。)やはり7000mを越えると、違う世界です。何度もこの標高は経験していても、やはり緊張する標高でした。ちなみに下山後に動画をアップする予定でしたが、中継班の電力などの問題があって更新できませんでした。すいません!ベースキャンプからは山頂は見えないため、プモリというエベレストから反対側の山に中継班が移動して、最後のアタックの中継を行います。登頂日は21日を予定しています。今は本当に心静かにして、全てを注ぐ準備しています。皆さん、応援ありがとうございます」とコメントを寄せていた。


栗城史多は死因は低体温症。

一部の登山家からは「無謀だ」「登山家に向いていない」などの声があったようだ。

アベマテレビが企画したのかどうかはわからないが栗城史多さんが亡くなった事をアベマテレビの責任として責めるコメント
もありそうだ。

一人の命が亡くなり山の恐怖は改めてわかった事だろう。

しかし、栗城史多さんはただ無謀な登山家じゃなかった。多くの人々に勇気や希望を与えたのは事実。



亡くなった命は戻らない心よりご冥福をお祈りします。






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指を9本失った登山家、栗城史多さん登山中に死去。アベマテレビに責任は? [芸能人]

登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さんが21日、エベレスト登頂を目指している途中で死亡したという。。35歳。

無念だったろう。寒かっただろう。
栗城史多さんは北海道出身。

登山家として有名だった。
過去に登山中の凍傷によって指を9本失った登山家としても有名だった。


栗城史多さんは4月17日から8度目のエベレスト登頂に挑戦していたが、体調不良で下山途中だった。栗城さんの公式フェイスブックなどで所属事務所が遺体で発見されたことを発表した。


悲劇が生まれてしまった。

登山家が亡くなる事は珍しい事ではない。しかし、有名な登山家で当日生配信する予定だった有名な登山家が亡くなったのは衝撃的だ。



 栗城事務所の小林幸子氏が「このようなお知らせになり、大変申し訳ございませんが、エベレストで下山途中の栗城が遺体となり、発見されました」と報告。



 「下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことからキャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました」と経緯を明かした。

 「生きて帰ることを誓っておりましたのに、このような結果になり、大変申し訳ございません。生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、最後に執着してしまったのかもしれません」とし「皆様へのご報告が遅くなりなりましたこと、心よりお詫び申し上げます。何メートル地点で発見されたかなど、これ以上の詳細が日本で分からず大変恐縮ですが、また分かり次第お知らせ申し上げます。これまで栗城を応援していただき、本当にありがとうございました」と結んだ。

 この日午前10時、公式ブログで「(栗城中継班より)栗城は体調が悪く、7400メートル地点から下山することになりました。今後の行動は未定で、栗城が無事に下山して状況が分かり次第、お知らせいたします。皆様からの応援、本当にありがとうございます」と報告されていた。



栗城さんは大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を制覇し、8000メートル峰4座を無酸素・単独登頂。2009年からは「冒険の共有」としてのインターネット生中継登山を始めた。



 12年秋に4度目の挑戦となったエベレスト西稜で両手・両足・鼻が重度の凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、14年7月に中国・パキスタン国境のブロードピーク(標高8047メートル)に無酸素・単独登頂。復帰を果たした。

 この日午後4時からインターネットテレビ局「AbemaTV」でエベレスト登頂の様子が生中継される予定だったが、中止になった。


この事で栗城史多さんの死去はアベマテレビに少なからず責任があるのでは?とのコメントもありそうだ。。







アベマテレビは5月18日、登山家・栗城史多氏がエベレスト(標高8848メートル)に登頂する様子を生中継すると発表した。中継は5月21日16時からの予定だった。



過去に7度、エベレスト登頂を目指すも叶うことがなかった栗城氏。4度目の挑戦となった2012年10月では、下山途中で両手、両足、鼻が重度の凍傷になったことが原因で、右手親指以外の両手9本の指全て、第二関節より先を失っている。

それでも諦めず、2015年10月、2016年10月にも挑戦を試みた栗城氏だったが、天候不良が原因で惜しくも登頂には至らなかった。

今回8度目の挑戦となる登頂について栗城氏は「無事に標高7300mまでの順応終えて下山してきました。もう少し上まで上がる予定でしたが、悪天候でキリの良い場所でやめました。7300m地点から、今回トライするルートも確認できました。(ルートに関してはアタック直前に発表します。それだけ慎重にやっています。)やはり7000mを越えると、違う世界です。何度もこの標高は経験していても、やはり緊張する標高でした。ちなみに下山後に動画をアップする予定でしたが、中継班の電力などの問題があって更新できませんでした。すいません!ベースキャンプからは山頂は見えないため、プモリというエベレストから反対側の山に中継班が移動して、最後のアタックの中継を行います。登頂日は21日を予定しています。今は本当に心静かにして、全てを注ぐ準備しています。皆さん、応援ありがとうございます」とコメントを寄せていた。


栗城史多は死因は低体温症。

一部の登山家からは「無謀だ」「登山家に向いていない」などの声があったようだ。

アベマテレビが企画したのかどうかはわからないが栗城史多さんが亡くなった事をアベマテレビの責任として責めるコメント
もありそうだ。

一人の命が亡くなり山の恐怖は改めてわかった事だろう。

しかし、栗城史多さんはただ無謀な登山家じゃなかった。多くの人々に勇気や希望を与えたのは事実。



亡くなった命は戻らない心よりご冥福をお祈りします。






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