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安くて旨いスシローの社長とは?エピソードや苦労話とは? [社長 企業]

寿司屋といったら回転寿司。
回転寿司といったら"スシロー"ともいえる。

ひと昔前は回転寿司といえば"びっくり寿司"だったが、激安で旨い回転寿司屋が軒並みにできた。

かっぱ寿司、くら寿司、スシローなどだ。

その中でも人気なのがスシローである。
スシローを作った人物や現在まで
スシローを繁栄させてきた社長はどんな苦労があり、エピソードがあったのだろうか?

スシローの社長とは?



「スシロー」の強みは、50%に上る高い原価率にあるという。外食業界の原価率は平均30%強、回転ずしは平均40%強であることを考えると、群を抜く水準だ。

しかも、食材を集中加工するセントラルキッチンを持たず、魚の切り出しをできるかぎり店舗で行っている。それ故に旨いのだ。

スシローの創業者は清水義雄さんで、もともと個人で寿司屋を営んでいた職人であった。

スシローの創業者は清水義雄




次の社長はほとんどエピソードは知られていない矢三圭史(やそけいじ)




そして
豊崎賢一が腕を振るった。
実質的清水義雄の後任になったのが豊崎賢一。彼もまた寿司職人でスシロー創業当時から尽力している。

ロボットの導入やデータ分析に力を入れながらも、寿司職人を大切にすることを忘れなかった。そのこだわりも手伝って、一味違う商品を高価格帯で提供することに成功していた。

次にスシローは大胆な戦略に出る、外部からプロ経営者を招き入れ社長に就任さす。 それが加藤智治
加藤智治は1974年生まれと若い。

東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻修了後、ドイツ銀行グループのドイチェ証券を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。

いわゆるインテリであるプロ経営者だ。

しかしこの人選が功を奏した!
「安さ」と「うまさ」をしっかり保ちつつ、タッチパネルなどの設備投資も行って競合企業を打ち破り、日本一の売上高を獲得することができたのだ。

この加藤智治のエピソードや子供の頃の話しがあったので簡潔に紹介しよう。
小中学生時代はあまりパッとしない子どもだったと加藤智治は言う。特にエピソードはない

成績は良くリレーの選手をやったりもする優等生だったことは間違いなさそうだが、抜きに出て凄い子供!とまではいかないようだ。
大学を出てすぐに経営者にいつかはなる!と決めていたようだ。

加藤智治の家族や親戚に経営者はいないという。

そしてスシロー社長加藤智治の性格は 「真面目だけれども自分勝手」だったと言う。
しかし社会に出て変わった、自分の意見、意志は常に明確に持っているけれども、それを振り回すのではなく、うまく周りに伝えられるようになったとかたる。

そして打たれ強いメンタルを持っていると加藤智治は語っていた。

加藤智治の信条は文武両道。そして「努力は運を左右する」

寿司職人とプロ経営者が共に作り上げたのがスシローと言えよう。

豊崎賢一と加藤智治がぶつかりあったというエピソードは有名だ。
しかしこれは苦労話ではなさそうだ。



そして現社長も凄い奴だった。。

スシロー現社長水留浩一


水留浩一

経歴(プロフィール)

■水留浩一(みずとめ・こういち)

■株式会社あきんどスシロー 社長

■日本航空株式会社 取締役副社長

■生年月日:1968年1月26日

■出身地:神奈川県

■1991年 東京大学理学部卒業

■電通に入社

■2009年 (株)企業再生支援機構 (現・地域経済活性化支援機構)常務取締役

■2010年1月 日本航空(株)管財人代理として更生計画の策定・実行に着手

■2010年12月 日本航空(株)取締役副社長

■2015年1月 株式会社あきんどスシロー 顧問
月 株式会社あきんどスシロー 社長

スシローの危機は清水義雄の弟清水豊の謀反によって招かれたという。

2007年3月。創業者兄弟の弟側の謀反により、突如株式が売られ、筆頭株主が入れ替わったという。これが最大の苦労話しではないか?

すき家などで有名なゼンショーの傘下に危うくなりそうだった。

豊崎は危機感を抱き、社長の矢三圭史、非常勤取締役の義雄(共に当時、現在は退社)と、証券会社を頼りに、ホワイトナイトを探し回る。

そこで見つけた相手が、現在あきんどスシローの株式の8割を握るプライベート・エクイティ・ファンド、ユニゾン・キャピタル(以下、ユニゾン)だ。

それ以来業績を伸ばしてきた。

そして
加藤智治の社長を経て現在は
水留浩一が社長だ。

彼は日本航空の副社長などを歴任した実績を買われて、外部から招かれた〝プロ経営者〟だ。

2015年からは、水留新社長のもとで、従来の客単価の3倍である3000円から4000円程度を想定した〝回らない寿司〟業態の「ツマミグイ」の出店を始め、未開拓の都心部を攻めようとしている

今後も楽しみである。スシロー歴代社長を推測すると
清水義雄 → 矢三圭史(やそけいじ) → 豊崎賢一 →加藤智治 → 水留浩一かもしれない。

歴代社長の個性を分析してみた。↓
*続きはコチラ。スシロー歴代社長の個性を分析



★★関連記事★★
*社長達の武勇伝エピソードが面白い!開業のコツとなる!バイタリティの強い人の苦労話しは力になる

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安くて旨いスシローの社長とは?エピソードや苦労話とは? [社長 企業]

寿司屋といったら回転寿司。
回転寿司といったら"スシロー"ともいえる。

ひと昔前は回転寿司といえば"びっくり寿司"だったが、激安で旨い回転寿司屋が軒並みにできた。

かっぱ寿司、くら寿司、スシローなどだ。

その中でも人気なのがスシローである。
スシローを作った人物や現在まで
スシローを繁栄させてきた社長はどんな苦労があり、エピソードがあったのだろうか?

スシローの社長とは?



「スシロー」の強みは、50%に上る高い原価率にあるという。外食業界の原価率は平均30%強、回転ずしは平均40%強であることを考えると、群を抜く水準だ。

しかも、食材を集中加工するセントラルキッチンを持たず、魚の切り出しをできるかぎり店舗で行っている。それ故に旨いのだ。

スシローの創業者は清水義雄さんで、もともと個人で寿司屋を営んでいた職人であった。

スシローの創業者は清水義雄




次の社長はほとんどエピソードは知られていない矢三圭史(やそけいじ)




そして
豊崎賢一が腕を振るった。
実質的清水義雄の後任になったのが豊崎賢一。彼もまた寿司職人でスシロー創業当時から尽力している。

ロボットの導入やデータ分析に力を入れながらも、寿司職人を大切にすることを忘れなかった。そのこだわりも手伝って、一味違う商品を高価格帯で提供することに成功していた。

次にスシローは大胆な戦略に出る、外部からプロ経営者を招き入れ社長に就任さす。 それが加藤智治
加藤智治は1974年生まれと若い。

東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻修了後、ドイツ銀行グループのドイチェ証券を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。

いわゆるインテリであるプロ経営者だ。

しかしこの人選が功を奏した!
「安さ」と「うまさ」をしっかり保ちつつ、タッチパネルなどの設備投資も行って競合企業を打ち破り、日本一の売上高を獲得することができたのだ。

この加藤智治のエピソードや子供の頃の話しがあったので簡潔に紹介しよう。
小中学生時代はあまりパッとしない子どもだったと加藤智治は言う。特にエピソードはない

成績は良くリレーの選手をやったりもする優等生だったことは間違いなさそうだが、抜きに出て凄い子供!とまではいかないようだ。
大学を出てすぐに経営者にいつかはなる!と決めていたようだ。

加藤智治の家族や親戚に経営者はいないという。

そしてスシロー社長加藤智治の性格は 「真面目だけれども自分勝手」だったと言う。
しかし社会に出て変わった、自分の意見、意志は常に明確に持っているけれども、それを振り回すのではなく、うまく周りに伝えられるようになったとかたる。

そして打たれ強いメンタルを持っていると加藤智治は語っていた。

加藤智治の信条は文武両道。そして「努力は運を左右する」

寿司職人とプロ経営者が共に作り上げたのがスシローと言えよう。

豊崎賢一と加藤智治がぶつかりあったというエピソードは有名だ。
しかしこれは苦労話ではなさそうだ。



そして現社長も凄い奴だった。。

スシロー現社長水留浩一


水留浩一

経歴(プロフィール)

■水留浩一(みずとめ・こういち)

■株式会社あきんどスシロー 社長

■日本航空株式会社 取締役副社長

■生年月日:1968年1月26日

■出身地:神奈川県

■1991年 東京大学理学部卒業

■電通に入社

■2009年 (株)企業再生支援機構 (現・地域経済活性化支援機構)常務取締役

■2010年1月 日本航空(株)管財人代理として更生計画の策定・実行に着手

■2010年12月 日本航空(株)取締役副社長

■2015年1月 株式会社あきんどスシロー 顧問
月 株式会社あきんどスシロー 社長

スシローの危機は清水義雄の弟清水豊の謀反によって招かれたという。

2007年3月。創業者兄弟の弟側の謀反により、突如株式が売られ、筆頭株主が入れ替わったという。これが最大の苦労話しではないか?

すき家などで有名なゼンショーの傘下に危うくなりそうだった。

豊崎は危機感を抱き、社長の矢三圭史、非常勤取締役の義雄(共に当時、現在は退社)と、証券会社を頼りに、ホワイトナイトを探し回る。

そこで見つけた相手が、現在あきんどスシローの株式の8割を握るプライベート・エクイティ・ファンド、ユニゾン・キャピタル(以下、ユニゾン)だ。

それ以来業績を伸ばしてきた。

そして
加藤智治の社長を経て現在は
水留浩一が社長だ。

彼は日本航空の副社長などを歴任した実績を買われて、外部から招かれた〝プロ経営者〟だ。

2015年からは、水留新社長のもとで、従来の客単価の3倍である3000円から4000円程度を想定した〝回らない寿司〟業態の「ツマミグイ」の出店を始め、未開拓の都心部を攻めようとしている

今後も楽しみである。スシロー歴代社長を推測すると
清水義雄 → 矢三圭史(やそけいじ) → 豊崎賢一 →加藤智治 → 水留浩一かもしれない。

歴代社長の個性を分析してみた。↓
*続きはコチラ。スシロー歴代社長の個性を分析



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