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デブラージの悲報によって、Japanese HIP HOPの一時代は終焉を迎えたと言える。 [音楽業界]

デブラージの悲報によって、Japanese HIP HOPの一時代は終焉を迎えたと言えよう。

1990年代、日本語ラップシーンはアンダーグラドで次々にスターが台頭しアンダーグランドシーンは大いに盛り上がりをみせた。

1970年代後半にアメリカでラップを取り入れたミュージックが生まれ(厳密に言うならばもっと前だが商業化したラップ誕生はその時期だ)
しばらくすると日本にもそのラップ技術は取り入れられた。しかしその頃1980年代は話すように言葉を並べるだけでRhyme(韻を踏む技術)などはないに等しくコミカルな色物でしかなかった。

徐々にラップ主体の曲が出てきたのが1990年代、いとうせいこうやスチャダラパーなどが脚光を浴びていた一方、渋谷などを中心に活動を続けていたgroupもいた。アンダーグラウンドでドープなヘッズ(熱心なヒップホップなどクラブミュージックやアンダーグランドミュージック全般が好きなファン)から人気があったのがマイクロフォンペイジャー、ブッタブランド、キングギドラ、ライムスター、ソウルスクリームなである。

1990年代中盤から後半に爆発的に日本語ラップが人気を博し、全国各地でB-boyが増殖した。ちなみにB-boy頭文字のBはblackでもbadでもなく「Break Dancer」のBである。
もしくは 発祥の地BrooklynのBとも言われている。
ファッション雑誌で特集が組まれ、HIP HOP 専門誌blastの刊行。

woofinや Dazzlinなどはファッション雑誌だが、ほぼHIP HOP専門誌のようだった。他にもスケーター雑誌ollieや昔からのboomなどもこぞってHIP HOP を取り上げた。
全国各地でヒップホップイベントが開かれた、それまではダンス主体のDJ onlyのイベントが多かったが、若手のラッパーやsingerなどのshow timeが組まれるイベントが増えた。

その状態は2000年代中期頃まで続き徐々にPOPシーンにも日本語ラップ主体の曲がランクインしてきた。

しかし、2010年代に入るとその勢いは衰退したと言わざるを得ない。世間一般に日本語ラップが広く認められた反面、音楽シーン自体が下火になってしまったのだ。

インターネットが広く普及したお陰で情報が無料で手に入り、雑誌の売上げは激減し、ダウンロード販売の影響でCDなどが売れない。
更にはクラブなどのガサ入れや風営法の強化などでクラブも少なくなった。





1990年代後半にアンダーグランドでスターになったラッパーやDJ 達はレジェントとして今なお熱狂的ファンがいて活躍している。
 若手や2000年以降に名前を上げたラッパーも多いが、強烈なインパクトを放つキャラは少ない。
 若手に関しては少し不憫にも感じる、目指すべきメディアがないのだから、、現在b-boyがチェックする情報はほとんどインターネット。

クラブなどの現場で仕入れる情報が軸となっているのだが、そういった現場主義者は少数だろう。

インターネットが普及される前は人から人、街から街。自分の足で仕入れる情報の方が多く。やはりその方がインパクトが強く、謎に満ちている面も含めて 魅力的なのだ。
例えばイベントのフライヤー(チラシ)は街やクラブに出ないと手に入れられない。情報のなかった時代は洋服屋などのフライヤーを持って帰り、どのクラブ、イベントに行くか考えた。またフライヤーデザインの優れたカッケー奴は部屋に飾り眺めた。また違うフライヤーを持ち帰り飾り、眺めていると前にあったフライヤーと同じ名前のDJ やラッパーを発見したりして「お!このDJはかなり活動してるな」など推測できた。SHOP店員からの情報も重要でヤバイイベントなどを教えてもらったり、SHOP限定のMix tapeなどは希少価値もあり、こぞって買った。「あの店にしか置いてないMixテープが欲しい!」そんな気持ちにさせられた。
もちろん雑誌に載る事が1つのステータスだったり、スターへの階段であり、憧れであった。

現在はインターネットかタワーレコードなど実店舗でお勧めしているartistをチェックする事、クラブなどの現場で直に情報を仕入れる事くらいしかできない。

しかし、しかし、ラッパー、DJ 、ダンサーなどの全体レベルは飛躍的に上がっている!はっきり言って過去の一部のスターとは比べ物にならないくらい上手い奴らもウジャウジャいる。
最近特に目立つのがMC battle から知名度を上げたラッパーだ。
数多くいるので名前はあげないが、とにかくフリースタイルが上手い!曲も名曲が多いし勿論音質が凄く良い。

各地で野外で輪になってフリースタイルをやり続ける「サイファー」は盛んに行われstreetの音楽という文化もしっかりと受け継いでいる。
こういった正しいHIP HOP の遊びは続けて欲しい。

では若手や中堅のラッパー達は何をするべきか?
答えは難しいが活路はあるはずだ。
まず、先駆者達が作ったレールに乗っかりすぎな点がある。クラブでラッパーが出演する時に大事な事がある。
その1つが、、集客である。クラブでのイベントにおいてオーガナイザーと呼ばれる主催者が力を入れて集客をする為DJやラッパーが客を呼ばなくても成り立つシステムが多くある。(必ずしもそうじゃなく、現在も厳しい集客ノルマを課しているイベント、クラブはある。)
オーガナイザーの立場としては心地よく出演者にはplayして欲しいし、出演者から「金にがめつい主催者だ」とも、思われたくないのでノルマを課さない場合があるが、ノルマを課してでも出演させるべきだろう。(ケースバイケースだが)ノルマを課せば何としても客を呼ぶ、つまりイベントは盛り上がるわけだ。
客として呼ぶ友人、知人がいなくなれば、演者達は街にくり出し新しい客を得るしかなくなる。そこで重要になってくるアイテムがフライヤー(チラシ)だ。
街に出て自らフライヤーを配る事で知り合いを増やす、洋服屋やrecordSHOPに置かせてもらう事によって店員と顔馴染みになる。そこから、話しが膨らむ事だってある。あとは街にくり出しティッシュ配りの要領でフライヤーを配る。これらの行動は気合いの入ったB-BOY 達は皆やっていた。

最近はそもそもフライヤーを印刷しない、SNS等で電子フライヤーとして作るが印刷されたフライヤーは少なくなった。
置いてもらえるSHOPが少なくなったのも原因の1つだ。SHOP側からしてみたら、管理に手間がかかるのも問題で終わったイベントのフライヤーをチェックして捨てなければならないからだ。それにある程度のスペースがとられてしまうからだ。
しかし、そこは店とお客の関係でもあるので、フライヤーを置いてもらった店でよく買い物をしたり、宣伝したりして相乗効果ももちろんあった。



、、次回は
*CDや音源の売り方や
*社会的行動へのアクション
*ネットの役割
*先駆者達がするべき事
 などをまとめていきたい。


前回の記事「デブラージ死亡、死因は?」
http://b-boynositennews.blog.so-net.ne.jp/2015-05-05









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デブラージの悲報によって、Japanese HIP HOPの一時代は終焉を迎えたと言える。 [音楽業界]

デブラージの悲報によって、Japanese HIP HOPの一時代は終焉を迎えたと言えよう。

1990年代、日本語ラップシーンはアンダーグラドで次々にスターが台頭しアンダーグランドシーンは大いに盛り上がりをみせた。

1970年代後半にアメリカでラップを取り入れたミュージックが生まれ(厳密に言うならばもっと前だが商業化したラップ誕生はその時期だ)
しばらくすると日本にもそのラップ技術は取り入れられた。しかしその頃1980年代は話すように言葉を並べるだけでRhyme(韻を踏む技術)などはないに等しくコミカルな色物でしかなかった。

徐々にラップ主体の曲が出てきたのが1990年代、いとうせいこうやスチャダラパーなどが脚光を浴びていた一方、渋谷などを中心に活動を続けていたgroupもいた。アンダーグラウンドでドープなヘッズ(熱心なヒップホップなどクラブミュージックやアンダーグランドミュージック全般が好きなファン)から人気があったのがマイクロフォンペイジャー、ブッタブランド、キングギドラ、ライムスター、ソウルスクリームなである。

1990年代中盤から後半に爆発的に日本語ラップが人気を博し、全国各地でB-boyが増殖した。ちなみにB-boy頭文字のBはblackでもbadでもなく「Break Dancer」のBである。
もしくは 発祥の地BrooklynのBとも言われている。
ファッション雑誌で特集が組まれ、HIP HOP 専門誌blastの刊行。

woofinや Dazzlinなどはファッション雑誌だが、ほぼHIP HOP専門誌のようだった。他にもスケーター雑誌ollieや昔からのboomなどもこぞってHIP HOP を取り上げた。
全国各地でヒップホップイベントが開かれた、それまではダンス主体のDJ onlyのイベントが多かったが、若手のラッパーやsingerなどのshow timeが組まれるイベントが増えた。

その状態は2000年代中期頃まで続き徐々にPOPシーンにも日本語ラップ主体の曲がランクインしてきた。

しかし、2010年代に入るとその勢いは衰退したと言わざるを得ない。世間一般に日本語ラップが広く認められた反面、音楽シーン自体が下火になってしまったのだ。

インターネットが広く普及したお陰で情報が無料で手に入り、雑誌の売上げは激減し、ダウンロード販売の影響でCDなどが売れない。
更にはクラブなどのガサ入れや風営法の強化などでクラブも少なくなった。





1990年代後半にアンダーグランドでスターになったラッパーやDJ 達はレジェントとして今なお熱狂的ファンがいて活躍している。
 若手や2000年以降に名前を上げたラッパーも多いが、強烈なインパクトを放つキャラは少ない。
 若手に関しては少し不憫にも感じる、目指すべきメディアがないのだから、、現在b-boyがチェックする情報はほとんどインターネット。

クラブなどの現場で仕入れる情報が軸となっているのだが、そういった現場主義者は少数だろう。

インターネットが普及される前は人から人、街から街。自分の足で仕入れる情報の方が多く。やはりその方がインパクトが強く、謎に満ちている面も含めて 魅力的なのだ。
例えばイベントのフライヤー(チラシ)は街やクラブに出ないと手に入れられない。情報のなかった時代は洋服屋などのフライヤーを持って帰り、どのクラブ、イベントに行くか考えた。またフライヤーデザインの優れたカッケー奴は部屋に飾り眺めた。また違うフライヤーを持ち帰り飾り、眺めていると前にあったフライヤーと同じ名前のDJ やラッパーを発見したりして「お!このDJはかなり活動してるな」など推測できた。SHOP店員からの情報も重要でヤバイイベントなどを教えてもらったり、SHOP限定のMix tapeなどは希少価値もあり、こぞって買った。「あの店にしか置いてないMixテープが欲しい!」そんな気持ちにさせられた。
もちろん雑誌に載る事が1つのステータスだったり、スターへの階段であり、憧れであった。

現在はインターネットかタワーレコードなど実店舗でお勧めしているartistをチェックする事、クラブなどの現場で直に情報を仕入れる事くらいしかできない。

しかし、しかし、ラッパー、DJ 、ダンサーなどの全体レベルは飛躍的に上がっている!はっきり言って過去の一部のスターとは比べ物にならないくらい上手い奴らもウジャウジャいる。
最近特に目立つのがMC battle から知名度を上げたラッパーだ。
数多くいるので名前はあげないが、とにかくフリースタイルが上手い!曲も名曲が多いし勿論音質が凄く良い。

各地で野外で輪になってフリースタイルをやり続ける「サイファー」は盛んに行われstreetの音楽という文化もしっかりと受け継いでいる。
こういった正しいHIP HOP の遊びは続けて欲しい。

では若手や中堅のラッパー達は何をするべきか?
答えは難しいが活路はあるはずだ。
まず、先駆者達が作ったレールに乗っかりすぎな点がある。クラブでラッパーが出演する時に大事な事がある。
その1つが、、集客である。クラブでのイベントにおいてオーガナイザーと呼ばれる主催者が力を入れて集客をする為DJやラッパーが客を呼ばなくても成り立つシステムが多くある。(必ずしもそうじゃなく、現在も厳しい集客ノルマを課しているイベント、クラブはある。)
オーガナイザーの立場としては心地よく出演者にはplayして欲しいし、出演者から「金にがめつい主催者だ」とも、思われたくないのでノルマを課さない場合があるが、ノルマを課してでも出演させるべきだろう。(ケースバイケースだが)ノルマを課せば何としても客を呼ぶ、つまりイベントは盛り上がるわけだ。
客として呼ぶ友人、知人がいなくなれば、演者達は街にくり出し新しい客を得るしかなくなる。そこで重要になってくるアイテムがフライヤー(チラシ)だ。
街に出て自らフライヤーを配る事で知り合いを増やす、洋服屋やrecordSHOPに置かせてもらう事によって店員と顔馴染みになる。そこから、話しが膨らむ事だってある。あとは街にくり出しティッシュ配りの要領でフライヤーを配る。これらの行動は気合いの入ったB-BOY 達は皆やっていた。

最近はそもそもフライヤーを印刷しない、SNS等で電子フライヤーとして作るが印刷されたフライヤーは少なくなった。
置いてもらえるSHOPが少なくなったのも原因の1つだ。SHOP側からしてみたら、管理に手間がかかるのも問題で終わったイベントのフライヤーをチェックして捨てなければならないからだ。それにある程度のスペースがとられてしまうからだ。
しかし、そこは店とお客の関係でもあるので、フライヤーを置いてもらった店でよく買い物をしたり、宣伝したりして相乗効果ももちろんあった。



、、次回は
*CDや音源の売り方や
*社会的行動へのアクション
*ネットの役割
*先駆者達がするべき事
 などをまとめていきたい。


前回の記事「デブラージ死亡、死因は?」
http://b-boynositennews.blog.so-net.ne.jp/2015-05-05









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