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Mummy-Dの待望のソロ・アルバムとは? [音楽]

ヒップホップグループ「ライムスター」のメンバーで、磯子区の森東小学校出身のラッパーMummy─D(本名・坂間大介)さんが3月13日、初のソロアルバム「Bars of My Life」をリリースした。

多くのB-BOYが待ちに待った作品だ。


同アルバムでは地元・横浜についても歌っており、「小・中学生時代を過ごした磯子、上大岡が原点」と話した。


横浜に住んでる人間なら磯子、上大岡を知っているはずだ。
なので多くの共感もあるはずだ。


 Mummy─Dさんは横浜市南区生まれのラッパー。森東小、笹下中学校=港南区=、横浜緑ヶ丘高校=中区=の卒業生で、小学校3年から高校までを磯子区、港南区、金沢区で過ごしたそうだ。

早稲田大学に進学すると、在学中の1989年に宇多丸さんと出会い「ライムスター」を結成。


ヒップホップが定着していない時期にライブ活動を重ね、2001年にメジャーデビュー、2007年と今年は日本武道館でライブを行うなど、日本のヒップホップ界をけん引してきた。また、サウンドプロデューサー、役者、ナレーターとしても活躍している。









 今回、発売されたのは12曲が収録された初のソロアルバム「Bars of My Life」。中でも「バックミラーの中の街」では、馬車道、関内、元町、本牧、山手、山下など横浜の地名が歌詞の中に多く登場する。

これはライムスターではできない事だ。
宇多丸は横浜出身ではないからね。



Mummy─Dさんによると「地元横浜への気持ちはあるが、現在の活動拠点は東京。近くて遠いと感じる。そこでグループでは歌えない地元の曲を歌った」とのこと。また「歌詞の地名は、現在ではなく、かつての横浜をイメージしている。加齢で古くなる自分と、変わっていく横浜を重ね合わせた」とも話した。






横浜には多くの音楽家がいる、その一人がミッキー吉野さんだ。

 笹下中時代に過ごした上大岡を「不良と音楽の街」と語る。当時の上大岡ではブレイクダンスが若者の間で流行。現在の音楽に影響を与えた。また、貸しレコード店も多く、エイベックス(株)代表取締役会長の松浦勝人さんが働いていたことでも知られる「友&愛」には頻繁に通ったそうだ。


ヒップホップやユーロビートを好んで聴いたことが現在のスタイルにつながる。

 さらにアルバムの中で「人生の伏線回収のような曲」と語るのが「Be Alright(Mr. Drunk Remix)feat.ミッキー吉野」だ。人気バンド「ゴダイゴ」のメンバー・ミッキー吉野さんとのコラボ曲。


ゴダイゴはMummy─Dさんの音楽における原体験だという。「それまでの曲が歌中心に作られていたのに対し、ゴダイゴは歌と楽器が共に前に出ている。洗練されていた」と小学校時代に聴いたゴダイゴを回顧。


何と感性豊かな小学生だ。

やはりMummy-Dさんはインテリだ。

また、当時住んでいた磯子区にミッキー吉野さんも住んでいたこともあり、ミッキー吉野さんは子どもの頃からの特別な存在だったようた。

 今回のアルバムについては「昭和の横浜で育った人なら、共感してもらえる歌詞が多い。ラップを聴いたことない人も聴いてほしい」と話した。


文明開化の街
ノスタルジックな雰囲気も下町の雰囲気ある。

横浜を感じたい

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ヒップホップグループ「ライムスター」のメンバーで、磯子区の森東小学校出身のラッパーMummy─D(本名・坂間大介)さんが3月13日、初のソロアルバム「Bars of My Life」をリリースした。

多くのB-BOYが待ちに待った作品だ。


同アルバムでは地元・横浜についても歌っており、「小・中学生時代を過ごした磯子、上大岡が原点」と話した。


横浜に住んでる人間なら磯子、上大岡を知っているはずだ。
なので多くの共感もあるはずだ。


 Mummy─Dさんは横浜市南区生まれのラッパー。森東小、笹下中学校=港南区=、横浜緑ヶ丘高校=中区=の卒業生で、小学校3年から高校までを磯子区、港南区、金沢区で過ごしたそうだ。

早稲田大学に進学すると、在学中の1989年に宇多丸さんと出会い「ライムスター」を結成。


ヒップホップが定着していない時期にライブ活動を重ね、2001年にメジャーデビュー、2007年と今年は日本武道館でライブを行うなど、日本のヒップホップ界をけん引してきた。また、サウンドプロデューサー、役者、ナレーターとしても活躍している。









 今回、発売されたのは12曲が収録された初のソロアルバム「Bars of My Life」。中でも「バックミラーの中の街」では、馬車道、関内、元町、本牧、山手、山下など横浜の地名が歌詞の中に多く登場する。

これはライムスターではできない事だ。
宇多丸は横浜出身ではないからね。



Mummy─Dさんによると「地元横浜への気持ちはあるが、現在の活動拠点は東京。近くて遠いと感じる。そこでグループでは歌えない地元の曲を歌った」とのこと。また「歌詞の地名は、現在ではなく、かつての横浜をイメージしている。加齢で古くなる自分と、変わっていく横浜を重ね合わせた」とも話した。






横浜には多くの音楽家がいる、その一人がミッキー吉野さんだ。

 笹下中時代に過ごした上大岡を「不良と音楽の街」と語る。当時の上大岡ではブレイクダンスが若者の間で流行。現在の音楽に影響を与えた。また、貸しレコード店も多く、エイベックス(株)代表取締役会長の松浦勝人さんが働いていたことでも知られる「友&愛」には頻繁に通ったそうだ。


ヒップホップやユーロビートを好んで聴いたことが現在のスタイルにつながる。

 さらにアルバムの中で「人生の伏線回収のような曲」と語るのが「Be Alright(Mr. Drunk Remix)feat.ミッキー吉野」だ。人気バンド「ゴダイゴ」のメンバー・ミッキー吉野さんとのコラボ曲。


ゴダイゴはMummy─Dさんの音楽における原体験だという。「それまでの曲が歌中心に作られていたのに対し、ゴダイゴは歌と楽器が共に前に出ている。洗練されていた」と小学校時代に聴いたゴダイゴを回顧。


何と感性豊かな小学生だ。

やはりMummy-Dさんはインテリだ。

また、当時住んでいた磯子区にミッキー吉野さんも住んでいたこともあり、ミッキー吉野さんは子どもの頃からの特別な存在だったようた。

 今回のアルバムについては「昭和の横浜で育った人なら、共感してもらえる歌詞が多い。ラップを聴いたことない人も聴いてほしい」と話した。


文明開化の街
ノスタルジックな雰囲気も下町の雰囲気ある。

横浜を感じたい

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