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ドラえもん「行かなきゃ」は放送事故?集団悪夢シンドローム? [都市伝説]

ドラえもんに関する都市伝説があった。

謎のエピソード「行かなきゃ」が不気味。
以前当ブログでも紹介した「ミノケモヨダツ11」も1995年前後に放送されたのを見た!と目撃情報が多数あったにも関わらず、そんな番組は番組表にはなかった事、映像が残されていないこともあり、都市伝説となっており、未だに不明点が多い。


そんなミノケモヨダツに少し似たドラえもん幻の放送「行かなきゃ」とは?





ドラえもんの「行かなきゃ」は 突然深夜に放送されたという。

テッテレー
「行かなきゃ~」という道具をドラえもんが四次元ポケットからだすのだろうか?

大概の場合ドラえもんはアニメタイトルにドラえもんの道具の名前をつけがち。


ドラえもんの道具に「行かなきゃ」はあるのか?




「行かなきゃ」って道具があるのだろうか?


どうやら違うようだ。



ドラえもんが深夜に放送されていた?



「行かなきゃ」は、1996年9月23日(月曜日)の深夜に放送されたと言われる、アニメ「ドラえもん」のエピソード。


当時、「ドラえもん」の放送時間は金曜夜7時であり、深夜に放送される事は有り得なかったので、本当に放送されていたならば非常に特殊なエピソードだ。


なお、当時の新聞のテレビ番組表に放送予定は掲載されていなかった。

どんな内容だった?





「行かなきゃ」の内容については様々な目撃情報がある。



様々な目撃情報の中でも一番有力な目撃情報、多くの人が共通した証言が、


「深夜に突然「ドラえもん」の放送が始まり、ただ何処かに歩いているのび太の映像が延々と流れた。そして野比のび太が「行かなきゃ」というセリフを一言残して終わった』というものだ。


放送日は
1996年9月23日
何とこの日は藤子不二雄先生の命日なのだ。。



この放送日が藤子不二雄先生の命日と聞き、鳥肌がたった、、





PhotoGrid_1591883010364.jpg

目撃情報 


通常のドラえもんは歌から始まり

タイトルコールから始まる。


しかし、「行かなきゃ」ではそれすらなかった、だから劇中唯一のセリフである「行かなきゃ」がサブタイトルの代わりとして使われるようになった。



突然深夜に放送された?
もしくは、本当は放送されていない?

真相は不明なのだが、
このドラえもん「行かなきゃ」の映像を見たと語る目撃談はネット上に多数存在。


テレビ局に抗議や質問の電話が殺到したとも言われている。
テレビ局とはテレ朝だと思うが、、当時の社員とか電話番がいればそれはわかる事だろう、、しかしそれも不明。


当然映像や公的な記録は残っていない為、ファンの間では「本当に放送されたのか?それとも単なる都市伝説なのか?」という議論が交わされている。




このドラえもん「行かなきゃ」に関してあまり聞かない意見だが、こうも考え事られないか?

集団悪夢シンドロームではないか?






集団悪夢シンドロームとは同じ夢を集団で見るという現象だ。かなりホラーな話しだ、、


しかし集団悪夢シンドロームは実際にあるようで、ドラえもん「行かなきゃ」は集団悪夢シンドローム。その可能性もなくはないのでは?



もしくはドラえもん「行かなきゃ」は記憶違いのマンデラ効果だったのか?


マンデラ効果は「ミノケモヨダツ11」でも有力な説だった、記憶違い。
暗示されたように記憶違いが起きてドラえもん「行かなきゃ」という放送を確実に見た!
と間違えた記憶が刷り込まれてしまったか、、?











放送されたかは一切不明だが、「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄先生が放送に関わっていた、或いは彼の追悼目的で放送されたという説が最も有名だ。


夢でも記憶違いでもない、あくまでも放送されていたたとしたら。




追悼番組説


「行かなきゃ」が放送されたと言われている1996年9月23日は、藤子・F・不二雄先生が死去した日でもある為、追悼する意味合いでテレビ局が放送したのではないかと言われている。


つまり、「行かなきゃ」とは「天国へ行かなきゃ」という意味だったのではないか?

という説。
死去する以前に作っていた物を自分が死んだら流して欲しいと藤子先生が頼んでいた、とも言われている。


ストーリー性が無くセリフも一言だけという意味不明な内容だったのは、藤子・F・不二雄先生が急死した為、未完成の映像を流すしか無かったためではないかと言われている。もしくは「あえて」多くは語らないスタンスだったのか?






目撃情報の1つにのび太の声が藤子F不二雄先生の声になっていたというのもある。

目撃談の中には野比のび太の「行かなきゃ」という声は当時の担当声優である小原乃梨子の声ではなく、藤子・F・不二雄先生自身のものだった』というものが多く存在。


先生は生前、のび太のモデルは学生時代の自分自身と公言していた為、自身の遺言をのび太に代弁させたのではないかと考察する者もいる。

しかし、藤子不二雄先生の肉声を多くの人が認知している可能性は低い。エンドロールに声優、野比のび太 藤子不二雄とか書いてあったのか?そんな情報はない。





目撃情報による「行かなきゃ」の映像、構成とは?



目撃情報1

のび太が10分程ずっと歩いており、いつもの空き地に続く道と周囲の風景が延々と描写され続ける。

空き地にはジャイアン、スネ夫、出木杉、しずか、ドラえもんが揃っている。

みんなが笑顔を浮かべている。そして、のび太は「行かなきゃ」という言葉を残して、みんなが待つ空き地に走っていった……というもの。




目撃情報2

真っ暗な中をのび太が歩く映像が延々と流れます。そのまま10分程経つと、最後にのび太が振り返り「行かなきゃ」と言って終了したという物。

BGMはなし。のび太のセリフ以外には歌も音も無く、オープニングも無く突然始まったと言う。




目撃情報3

のび太がスケッチブックを持って歩いているのをドラえもんが追いかけてきて「もう行ってしまうんだね」と言う。

のび太は振り返って「うん、もう行かなきゃ」と言う。

そこでのび太の姿が藤子・F・不二雄先生の姿に変わり、映像が終了。

スケッチブックを持っていたというのは自身が漫画家を強調していたのだろうか?





目撃情報4

何処かに歩いていくのび太をドラえもんが追いかける。そして最後にドラえもんがのび太に「もう行っちゃうんだね」と声をかけると野比のび太は「行かなきゃ」というセリフを言ったという。



目撃情報5

ジャイアンとケンカをするのび太。

ドラえもんが道具を貸して助けようとするが、のび太はその道具を捨ててジャイアンに正々堂々と勝負を挑む。

その様子を見たドラえもんは感動、
ジャイアンはのび太と和解。

するとのび太が視聴者の方を向きながら「子供には夢を、大人には希望を与えてきた。もう私が活躍することはないが、これからも時々で良いから思い出してくれ。もう私がいるべき世界へ行かなきゃいけない。また会える日を楽しみにしているよ」と発言したというもの。


この目撃情報はあまりポピュラーな目撃談ではないが、他の目撃談に比べて明確なストーリー性があり、セリフも多い。

追悼番組として流されても不自然ではない内容だ。
しかし、このエピソードは映画stand by meドラえもん の野比のび太かジャイアンと喧嘩するシーンに似ている。その記憶と混同してる気がしないでもない。




目撃情報6

2007年1月末に、2ちゃんねるのスレッド「ドラえもんに詳しいやつちょっと来い」に投稿された目撃談もある。

深夜に起きた投稿者がテレビを点けたところ、のび太がただ町の中を歩いていくだけの映像が流れ、最後に立ち止まると「行かなきゃ」という言葉を発し、階段を上がるような動作(階段は描かれていなかったという)で再び歩き始めたというもの。

アニメ映像はそのままフェードアウトし、試験電波の画面に変わったという。


他の体験談とは異なり、放送日は「10数年前(1990年代)」と曖昧、のび太の声が藤子先生の声だったという報告はない。

スレッド内では映画「のび太とアニマル惑星」の冒頭に類似した(のび太が一人でピンク色の靄の中を歩いていく)シーンがあると指摘されていますが、投稿者本人が視聴したうえで違うと報告。

また、スレッド内ではこの目撃談が投稿された時点で「藤子先生の命日の深夜にドラえもんが放送された」という噂が既に存在していた!と報告されている。



ドラえもん「行かなきゃ」の疑問点




疑問点

この「行かなきゃ」が追悼目的で放送されたとすると、不可解な点があるす。

藤子先生の死亡が確認された時間は9月23日深夜2時10分であり、彼の死去が報道され始めたのは翌日24日から。

つまり、「行かなきゃ」が追悼目的で23日深夜に放送されたとすれば、藤子先生の死を知った関係者が朝までの数時間以内にアニメを納品し、急遽放送枠をねじ込み、なおかつ追悼番組として放送したにも関わらず、TV局が死去の報道を24日まで自粛していたという事になる。


その為、『「行かなきゃ」は追悼目的で放送されたのではなく、なんらかの超自然的な力によって放送された番組であり、藤子先生が死去した瞬間に放送を終了した』という怪談めいた説も存在する。



また、『目撃者が口を揃えて「のび太の声は藤子先生のものだった」と断言するのは不自然だ』という意見もある、当時の追悼報道などで藤子先生の肉声を聞く機会は多かったとは思われるが、追悼番組はあくまでも藤子不二雄先生が亡くなった後。

ドラえもん「行かなきゃ」が放送された時は藤子不二雄先生が亡くなった事は知らないはずだ。
それに野比のび太の一回だけしか台詞を発しなかったにも関わらず、多くの視聴者がそれを藤子先生の声と記憶したというのは不自然

これに関しては「野比のび太の声変だったな」と思っていたが、追悼番組で藤子不二雄先生の声はあのときの野比のび太の声じゃないか!!

と思ったのかもしれない。







「行かなきゃ」が本当に放送されたのか?

それとも単なる嘘なのか?

言い切るのは非常に難しい。

やはり映像自体が出回っていない事、放送されたと言われる日が藤子先生の死去報道前だった事、何より先生が死去されたのは大長編ドラえもんの漫画化を執筆していた最中であった事から、仮に先生が流してほしいと頼んでいたとしても狙って放送するのは困難であること等を考えると、必然的に信憑性は低くなる。




しかし、「行かなきゃ」の映像を見たのは一人だけではない。 

かなりの人がネット上に目撃談を残している。

藤子先生の追悼とは無関係だった可能性や、なんらかの放送事故だった可能性もある。

あるいは別の番組の映像を「ドラえもん」と勘違いしたという可能性もあるという。


(近い例としては「アイアンキング」の25話が「ウルトラマン」の最終回と誤解され出来た!という都市伝説がある。










ドラえもん
「行かなきゃ」を単なる都市伝説と解釈するか、それとも少し不思議な体験談と解釈するか?

「信あな」です!
あっ「信じるか信じないかはあなた次第です」の略です。





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ドラえもんに関する都市伝説があった。

謎のエピソード「行かなきゃ」が不気味。
以前当ブログでも紹介した「ミノケモヨダツ11」も1995年前後に放送されたのを見た!と目撃情報が多数あったにも関わらず、そんな番組は番組表にはなかった事、映像が残されていないこともあり、都市伝説となっており、未だに不明点が多い。


そんなミノケモヨダツに少し似たドラえもん幻の放送「行かなきゃ」とは?





ドラえもんの「行かなきゃ」は 突然深夜に放送されたという。

テッテレー
「行かなきゃ~」という道具をドラえもんが四次元ポケットからだすのだろうか?

大概の場合ドラえもんはアニメタイトルにドラえもんの道具の名前をつけがち。


ドラえもんの道具に「行かなきゃ」はあるのか?




「行かなきゃ」って道具があるのだろうか?


どうやら違うようだ。



ドラえもんが深夜に放送されていた?



「行かなきゃ」は、1996年9月23日(月曜日)の深夜に放送されたと言われる、アニメ「ドラえもん」のエピソード。


当時、「ドラえもん」の放送時間は金曜夜7時であり、深夜に放送される事は有り得なかったので、本当に放送されていたならば非常に特殊なエピソードだ。


なお、当時の新聞のテレビ番組表に放送予定は掲載されていなかった。

どんな内容だった?





「行かなきゃ」の内容については様々な目撃情報がある。



様々な目撃情報の中でも一番有力な目撃情報、多くの人が共通した証言が、


「深夜に突然「ドラえもん」の放送が始まり、ただ何処かに歩いているのび太の映像が延々と流れた。そして野比のび太が「行かなきゃ」というセリフを一言残して終わった』というものだ。


放送日は
1996年9月23日
何とこの日は藤子不二雄先生の命日なのだ。。



この放送日が藤子不二雄先生の命日と聞き、鳥肌がたった、、





PhotoGrid_1591883010364.jpg

目撃情報 


通常のドラえもんは歌から始まり

タイトルコールから始まる。


しかし、「行かなきゃ」ではそれすらなかった、だから劇中唯一のセリフである「行かなきゃ」がサブタイトルの代わりとして使われるようになった。



突然深夜に放送された?
もしくは、本当は放送されていない?

真相は不明なのだが、
このドラえもん「行かなきゃ」の映像を見たと語る目撃談はネット上に多数存在。


テレビ局に抗議や質問の電話が殺到したとも言われている。
テレビ局とはテレ朝だと思うが、、当時の社員とか電話番がいればそれはわかる事だろう、、しかしそれも不明。


当然映像や公的な記録は残っていない為、ファンの間では「本当に放送されたのか?それとも単なる都市伝説なのか?」という議論が交わされている。




このドラえもん「行かなきゃ」に関してあまり聞かない意見だが、こうも考え事られないか?

集団悪夢シンドロームではないか?






集団悪夢シンドロームとは同じ夢を集団で見るという現象だ。かなりホラーな話しだ、、


しかし集団悪夢シンドロームは実際にあるようで、ドラえもん「行かなきゃ」は集団悪夢シンドローム。その可能性もなくはないのでは?



もしくはドラえもん「行かなきゃ」は記憶違いのマンデラ効果だったのか?


マンデラ効果は「ミノケモヨダツ11」でも有力な説だった、記憶違い。
暗示されたように記憶違いが起きてドラえもん「行かなきゃ」という放送を確実に見た!
と間違えた記憶が刷り込まれてしまったか、、?











放送されたかは一切不明だが、「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄先生が放送に関わっていた、或いは彼の追悼目的で放送されたという説が最も有名だ。


夢でも記憶違いでもない、あくまでも放送されていたたとしたら。




追悼番組説


「行かなきゃ」が放送されたと言われている1996年9月23日は、藤子・F・不二雄先生が死去した日でもある為、追悼する意味合いでテレビ局が放送したのではないかと言われている。


つまり、「行かなきゃ」とは「天国へ行かなきゃ」という意味だったのではないか?

という説。
死去する以前に作っていた物を自分が死んだら流して欲しいと藤子先生が頼んでいた、とも言われている。


ストーリー性が無くセリフも一言だけという意味不明な内容だったのは、藤子・F・不二雄先生が急死した為、未完成の映像を流すしか無かったためではないかと言われている。もしくは「あえて」多くは語らないスタンスだったのか?






目撃情報の1つにのび太の声が藤子F不二雄先生の声になっていたというのもある。

目撃談の中には野比のび太の「行かなきゃ」という声は当時の担当声優である小原乃梨子の声ではなく、藤子・F・不二雄先生自身のものだった』というものが多く存在。


先生は生前、のび太のモデルは学生時代の自分自身と公言していた為、自身の遺言をのび太に代弁させたのではないかと考察する者もいる。

しかし、藤子不二雄先生の肉声を多くの人が認知している可能性は低い。エンドロールに声優、野比のび太 藤子不二雄とか書いてあったのか?そんな情報はない。





目撃情報による「行かなきゃ」の映像、構成とは?



目撃情報1

のび太が10分程ずっと歩いており、いつもの空き地に続く道と周囲の風景が延々と描写され続ける。

空き地にはジャイアン、スネ夫、出木杉、しずか、ドラえもんが揃っている。

みんなが笑顔を浮かべている。そして、のび太は「行かなきゃ」という言葉を残して、みんなが待つ空き地に走っていった……というもの。




目撃情報2

真っ暗な中をのび太が歩く映像が延々と流れます。そのまま10分程経つと、最後にのび太が振り返り「行かなきゃ」と言って終了したという物。

BGMはなし。のび太のセリフ以外には歌も音も無く、オープニングも無く突然始まったと言う。




目撃情報3

のび太がスケッチブックを持って歩いているのをドラえもんが追いかけてきて「もう行ってしまうんだね」と言う。

のび太は振り返って「うん、もう行かなきゃ」と言う。

そこでのび太の姿が藤子・F・不二雄先生の姿に変わり、映像が終了。

スケッチブックを持っていたというのは自身が漫画家を強調していたのだろうか?





目撃情報4

何処かに歩いていくのび太をドラえもんが追いかける。そして最後にドラえもんがのび太に「もう行っちゃうんだね」と声をかけると野比のび太は「行かなきゃ」というセリフを言ったという。



目撃情報5

ジャイアンとケンカをするのび太。

ドラえもんが道具を貸して助けようとするが、のび太はその道具を捨ててジャイアンに正々堂々と勝負を挑む。

その様子を見たドラえもんは感動、
ジャイアンはのび太と和解。

するとのび太が視聴者の方を向きながら「子供には夢を、大人には希望を与えてきた。もう私が活躍することはないが、これからも時々で良いから思い出してくれ。もう私がいるべき世界へ行かなきゃいけない。また会える日を楽しみにしているよ」と発言したというもの。


この目撃情報はあまりポピュラーな目撃談ではないが、他の目撃談に比べて明確なストーリー性があり、セリフも多い。

追悼番組として流されても不自然ではない内容だ。
しかし、このエピソードは映画stand by meドラえもん の野比のび太かジャイアンと喧嘩するシーンに似ている。その記憶と混同してる気がしないでもない。




目撃情報6

2007年1月末に、2ちゃんねるのスレッド「ドラえもんに詳しいやつちょっと来い」に投稿された目撃談もある。

深夜に起きた投稿者がテレビを点けたところ、のび太がただ町の中を歩いていくだけの映像が流れ、最後に立ち止まると「行かなきゃ」という言葉を発し、階段を上がるような動作(階段は描かれていなかったという)で再び歩き始めたというもの。

アニメ映像はそのままフェードアウトし、試験電波の画面に変わったという。


他の体験談とは異なり、放送日は「10数年前(1990年代)」と曖昧、のび太の声が藤子先生の声だったという報告はない。

スレッド内では映画「のび太とアニマル惑星」の冒頭に類似した(のび太が一人でピンク色の靄の中を歩いていく)シーンがあると指摘されていますが、投稿者本人が視聴したうえで違うと報告。

また、スレッド内ではこの目撃談が投稿された時点で「藤子先生の命日の深夜にドラえもんが放送された」という噂が既に存在していた!と報告されている。



ドラえもん「行かなきゃ」の疑問点




疑問点

この「行かなきゃ」が追悼目的で放送されたとすると、不可解な点があるす。

藤子先生の死亡が確認された時間は9月23日深夜2時10分であり、彼の死去が報道され始めたのは翌日24日から。

つまり、「行かなきゃ」が追悼目的で23日深夜に放送されたとすれば、藤子先生の死を知った関係者が朝までの数時間以内にアニメを納品し、急遽放送枠をねじ込み、なおかつ追悼番組として放送したにも関わらず、TV局が死去の報道を24日まで自粛していたという事になる。


その為、『「行かなきゃ」は追悼目的で放送されたのではなく、なんらかの超自然的な力によって放送された番組であり、藤子先生が死去した瞬間に放送を終了した』という怪談めいた説も存在する。



また、『目撃者が口を揃えて「のび太の声は藤子先生のものだった」と断言するのは不自然だ』という意見もある、当時の追悼報道などで藤子先生の肉声を聞く機会は多かったとは思われるが、追悼番組はあくまでも藤子不二雄先生が亡くなった後。

ドラえもん「行かなきゃ」が放送された時は藤子不二雄先生が亡くなった事は知らないはずだ。
それに野比のび太の一回だけしか台詞を発しなかったにも関わらず、多くの視聴者がそれを藤子先生の声と記憶したというのは不自然

これに関しては「野比のび太の声変だったな」と思っていたが、追悼番組で藤子不二雄先生の声はあのときの野比のび太の声じゃないか!!

と思ったのかもしれない。







「行かなきゃ」が本当に放送されたのか?

それとも単なる嘘なのか?

言い切るのは非常に難しい。

やはり映像自体が出回っていない事、放送されたと言われる日が藤子先生の死去報道前だった事、何より先生が死去されたのは大長編ドラえもんの漫画化を執筆していた最中であった事から、仮に先生が流してほしいと頼んでいたとしても狙って放送するのは困難であること等を考えると、必然的に信憑性は低くなる。




しかし、「行かなきゃ」の映像を見たのは一人だけではない。 

かなりの人がネット上に目撃談を残している。

藤子先生の追悼とは無関係だった可能性や、なんらかの放送事故だった可能性もある。

あるいは別の番組の映像を「ドラえもん」と勘違いしたという可能性もあるという。


(近い例としては「アイアンキング」の25話が「ウルトラマン」の最終回と誤解され出来た!という都市伝説がある。










ドラえもん
「行かなきゃ」を単なる都市伝説と解釈するか、それとも少し不思議な体験談と解釈するか?

「信あな」です!
あっ「信じるか信じないかはあなた次第です」の略です。





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