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シマノの創業者が島野氏が凄い!自転車ブームだからお世話になっている人多いんじゃない? [社長 企業]


シマノの創業者が島野氏が凄い!!


釣具といえばシマノ、他にも自転車部品やアウトドアブランドとしても有名だ。
現在自転車ブームなのでシマノのパーツにはお世話になっている人も多いのではないか

チャリ部品.jpg


堺の鉄工所職人だった創業者・島野庄三郎が28歳で創業。
simano創業者.jpg



鍛冶屋の伝統を持ち、16世紀以来包丁と鉄砲の町として知られてきた堺は明治に入ってから自転車の部品や完成品の生産に業種転換し、日本の自転車産業の中心地となっていた。


自転車部品と釣具の製造をその主要な事業とし、ロードバイク・マウンテンバイク・レース用自転車の機構部品としては世界最大である。かつてはゴルフ用品やスノーボードのビンディング・ブーツも製造販売していたが、ゴルフは2005年、スノーボードも2009年3月31日をもって終了した。取扱品目の性格上、従業員の自転車通勤も積極的に奨励している。
















☆そんなシマノはどのように会社を大きくしていったのだろうか?また創業にまつわる 島野庄三郎氏のエピソードなどはあるのだろうか? 島野庄三郎さんの性格や運勢とは?

1921年-初代島野庄三郎が大阪府堺市にて堺セルロイド工場の跡地を借り島野鐵工所を創業。焼き入れ技術が劣りベアリングの品質が悪かった国産フリーホイールを、技術の改善と輸入ベアリングを用いて品質向上させ、製造を開始。

1940年 - 株式会社島野鉄工所となる。
1951年 - 商号を島野工業株式会社に変更。
1956年 - 外装式変速機の生産に着手。
1957年 - 内装3段変速機(3 SPEED HUB)の生産に着手。
1958年 - 島野尚三が社長に就任。
1965年 - アメリカ合衆国に事務所を構えた。
1970年 - 釣具事業部発足。島野山口株式会社(現・下関工場)完成。
1972年 - 大阪証券取引所2部上場。西ドイツ・デュッセルドルフにて「シマノヨーロッパ」を設立。
1973年 - 東京証券取引所・大阪証券取引所1部上場。シンガポールに初の海外工場を設立。
1991年 - 商号を株式会社シマノに改称。
1992年 - 3代目社長に島野敬三が就任。自転車博物館をオープン。
1995年 - 4代目社長に島野喜三が就任。
1997年 - スノーボード用品を扱うアクションスポーツ事業部発足。
1999年 - ゴルフ事業部発足。
2001年 - 5代目社長に島野容三が就任。
2005年 - ゴルフ用品事業から撤退。
2009年 - 3月末でスノーボード用品事業から撤退。ヨネックスに事業譲渡。

シマノの創業者の島野氏はご覧の通り経歴が凄い!!



大阪府堺市の旋盤工島野庄三郎(しまの・しょうざぶろう、1894-1958)は第一次大戦後の不況で失職した仲間と共に、1921年(大10)島野鉄工所を創業。

翌年下請けとして自転車部品のフリーホイールの生産を開始。

製品改良に注力し1939年(昭14)にはフリーホイール生産で市場占拠率60%に達し、海外にも進出。

1940年(昭15)株式会社に改組、戦災で一時解散するが終戦後まもなく生産再開する。1946年(昭21)設立の島野自転車を1950年(昭25)島野鉄工所と合併し、翌年島野工業に改称。研究開発を重ねて業態を広げ欧米へ進出を果たし、1991年(平3)社名をシマノに変更。







シマノと云えば誰もが知る実用車からスポーツサイクルまでの主要な構成部品を数多く生産する世界最大の自転車パーツメーカー。

創業は1921年島野鉄工所として島野庄三郎氏がわずか1台の工作機械で後輪用1枚ギア(フリーホイール)の製造からスタートし1940年に株式会社になったそうだ。
二代目社長尚三氏が1973年デュラエースを発売、その後つぎづぎと新製品を開発するやライバルメーカーは苦戦、ヨーロッパの歴史ある有名部品メーカーもカンパニョーロ以外はすべて消滅してしまった。




有名なロードレース、ツールドフランスや日本全国を走る殆どの自転車にはシマノのパーツが使用されている。



シマノは歴代の社長と社員の努力によって会社を大きくしたようだ!!!










シマノが大きな会社になったきっかけは、やはり創業者の意志が代々の社長へ脈々と受け継がれたからかもしれない。


島野庄三郎の苦労話しや武勇伝エピソードは詳しくはわからない。
興味がある人は島野庄三郎伝という本があるようなので読んでみると良いだろう。



シマノ初代社長の島野庄三郎の運勢を姓名判断してみた


simnounsei.jpg


総格(総運)は39画で『特殊格』
『生命力 大物 成功』

巧みに人を操るすべを身につけ、出世します。どんな世界でも成功をおさめます。 気持ちが若く、常に新しい物を吸収しようと意欲的です。波乱を乗り越え、成功を収めます。権力や財力を得て、家庭運もよく、健康運にも恵まれるでしょう。しかし、成功にあぐらをかいていると足下をすくわれ、人が離れていく結果に。女性は凶運数で結婚運が悪く、離婚や死別などを経験することも。人の意見を聞き入れ、周囲の幸せを考えることで幸福な晩年を送れるでしょう。

*やはり特殊な運勢であったようだ!!シマノ創業者の島野庄三郎は成功するべくして成功したのかもしれない。




ちなみに現社長は2001年 から 5代目社長として島野容三社長が就任
↓現社長
島野社長.png

下関工場長→営業管理部長→業企画部長→取締役釣具国内営業部長→釣具事業部長→熊本釣具社長→太陽工業社長→シマノ専務などを経て社長に就任


現在の社長もすごい!!
シマノ社長の凄さとは?

自転車部品及び釣り具メーカーとしてその名を馳せるシマノを率いる島野容三社長。

企業多角化戦略にまい進するのではなく、釣り用品に特化して商品を提供している。

企業規模が大きくなるとあれもこれもと手を広げたくなる経営者が多い中、対象を絞り込む方針をとりながら成功している。2001年就任以降、時価総額が1兆5千億を超える企業まで育て上げた。直近のROEは17.07%。


シマノ社長の凄さとは?
その切り口と判断力が凄い!と思う

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シマノの創業者が島野氏が凄い!!


釣具といえばシマノ、他にも自転車部品やアウトドアブランドとしても有名だ。
現在自転車ブームなのでシマノのパーツにはお世話になっている人も多いのではないか

チャリ部品.jpg


堺の鉄工所職人だった創業者・島野庄三郎が28歳で創業。
simano創業者.jpg



鍛冶屋の伝統を持ち、16世紀以来包丁と鉄砲の町として知られてきた堺は明治に入ってから自転車の部品や完成品の生産に業種転換し、日本の自転車産業の中心地となっていた。


自転車部品と釣具の製造をその主要な事業とし、ロードバイク・マウンテンバイク・レース用自転車の機構部品としては世界最大である。かつてはゴルフ用品やスノーボードのビンディング・ブーツも製造販売していたが、ゴルフは2005年、スノーボードも2009年3月31日をもって終了した。取扱品目の性格上、従業員の自転車通勤も積極的に奨励している。
















☆そんなシマノはどのように会社を大きくしていったのだろうか?また創業にまつわる 島野庄三郎氏のエピソードなどはあるのだろうか? 島野庄三郎さんの性格や運勢とは?

1921年-初代島野庄三郎が大阪府堺市にて堺セルロイド工場の跡地を借り島野鐵工所を創業。焼き入れ技術が劣りベアリングの品質が悪かった国産フリーホイールを、技術の改善と輸入ベアリングを用いて品質向上させ、製造を開始。

1940年 - 株式会社島野鉄工所となる。
1951年 - 商号を島野工業株式会社に変更。
1956年 - 外装式変速機の生産に着手。
1957年 - 内装3段変速機(3 SPEED HUB)の生産に着手。
1958年 - 島野尚三が社長に就任。
1965年 - アメリカ合衆国に事務所を構えた。
1970年 - 釣具事業部発足。島野山口株式会社(現・下関工場)完成。
1972年 - 大阪証券取引所2部上場。西ドイツ・デュッセルドルフにて「シマノヨーロッパ」を設立。
1973年 - 東京証券取引所・大阪証券取引所1部上場。シンガポールに初の海外工場を設立。
1991年 - 商号を株式会社シマノに改称。
1992年 - 3代目社長に島野敬三が就任。自転車博物館をオープン。
1995年 - 4代目社長に島野喜三が就任。
1997年 - スノーボード用品を扱うアクションスポーツ事業部発足。
1999年 - ゴルフ事業部発足。
2001年 - 5代目社長に島野容三が就任。
2005年 - ゴルフ用品事業から撤退。
2009年 - 3月末でスノーボード用品事業から撤退。ヨネックスに事業譲渡。

シマノの創業者の島野氏はご覧の通り経歴が凄い!!



大阪府堺市の旋盤工島野庄三郎(しまの・しょうざぶろう、1894-1958)は第一次大戦後の不況で失職した仲間と共に、1921年(大10)島野鉄工所を創業。

翌年下請けとして自転車部品のフリーホイールの生産を開始。

製品改良に注力し1939年(昭14)にはフリーホイール生産で市場占拠率60%に達し、海外にも進出。

1940年(昭15)株式会社に改組、戦災で一時解散するが終戦後まもなく生産再開する。1946年(昭21)設立の島野自転車を1950年(昭25)島野鉄工所と合併し、翌年島野工業に改称。研究開発を重ねて業態を広げ欧米へ進出を果たし、1991年(平3)社名をシマノに変更。







シマノと云えば誰もが知る実用車からスポーツサイクルまでの主要な構成部品を数多く生産する世界最大の自転車パーツメーカー。

創業は1921年島野鉄工所として島野庄三郎氏がわずか1台の工作機械で後輪用1枚ギア(フリーホイール)の製造からスタートし1940年に株式会社になったそうだ。
二代目社長尚三氏が1973年デュラエースを発売、その後つぎづぎと新製品を開発するやライバルメーカーは苦戦、ヨーロッパの歴史ある有名部品メーカーもカンパニョーロ以外はすべて消滅してしまった。




有名なロードレース、ツールドフランスや日本全国を走る殆どの自転車にはシマノのパーツが使用されている。



シマノは歴代の社長と社員の努力によって会社を大きくしたようだ!!!










シマノが大きな会社になったきっかけは、やはり創業者の意志が代々の社長へ脈々と受け継がれたからかもしれない。


島野庄三郎の苦労話しや武勇伝エピソードは詳しくはわからない。
興味がある人は島野庄三郎伝という本があるようなので読んでみると良いだろう。



シマノ初代社長の島野庄三郎の運勢を姓名判断してみた


simnounsei.jpg


総格(総運)は39画で『特殊格』
『生命力 大物 成功』

巧みに人を操るすべを身につけ、出世します。どんな世界でも成功をおさめます。 気持ちが若く、常に新しい物を吸収しようと意欲的です。波乱を乗り越え、成功を収めます。権力や財力を得て、家庭運もよく、健康運にも恵まれるでしょう。しかし、成功にあぐらをかいていると足下をすくわれ、人が離れていく結果に。女性は凶運数で結婚運が悪く、離婚や死別などを経験することも。人の意見を聞き入れ、周囲の幸せを考えることで幸福な晩年を送れるでしょう。

*やはり特殊な運勢であったようだ!!シマノ創業者の島野庄三郎は成功するべくして成功したのかもしれない。




ちなみに現社長は2001年 から 5代目社長として島野容三社長が就任
↓現社長
島野社長.png

下関工場長→営業管理部長→業企画部長→取締役釣具国内営業部長→釣具事業部長→熊本釣具社長→太陽工業社長→シマノ専務などを経て社長に就任


現在の社長もすごい!!
シマノ社長の凄さとは?

自転車部品及び釣り具メーカーとしてその名を馳せるシマノを率いる島野容三社長。

企業多角化戦略にまい進するのではなく、釣り用品に特化して商品を提供している。

企業規模が大きくなるとあれもこれもと手を広げたくなる経営者が多い中、対象を絞り込む方針をとりながら成功している。2001年就任以降、時価総額が1兆5千億を超える企業まで育て上げた。直近のROEは17.07%。


シマノ社長の凄さとは?
その切り口と判断力が凄い!と思う

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