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治療に専念する!と一年間歌手活動休止を発表した吉川晃司の喧嘩エピソードとは? [芸能人]

またも衝撃的な発表があった。歌手、吉川晃司(52)が一年間歌手活動を休止するという!

21日、東京・調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザで公演を行い、昨年7月に公表した左側声帯ポリープの治療で約1年間、歌手活動を休止すると報告した。

 吉川はアンコールで「レアなケースだけど、治療で(ポリープが)小さくなってきて、手術するかは未定」と説明。


続けて、デビュー35周年を迎える来年2月1日、2日に日本武道館公演を開催すると発表。復帰を願うファンからは大歓声がわき起こり、吉川は「復活&35周年的なものになると思う。1年後は笑顔で再会しよう!」と約束した。

吉川晃司はポリープの手術はしないかもしれないが、治療に専念するという。

そして音楽以外の活動は継続するという。

 公演では配信中の「The Last Letter」などを熱唱し、ドラムのシンバルを蹴る「シンバルキック」も披露。

喧嘩が強い!としても有名な吉川晃司。
どんな経歴なのか?


吉川晃司は身長181センチの長身!


1984年にシングル「モニカ」で歌手デビュー。「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。




府中町立府中小学校出身(宇梶剛士も2年まで在学で先輩、竹原慎二は後輩になる。どちらも喧嘩が凄まじく強い!
周りの環境で吉川晃司も強くなったのかもしれない。







世界ジュニア水球選手権大会の日本代表。また2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれたほどの逸材だった。



高校の頃、佐野元春のコンサートを見て、カルチャーショックを受け音楽一本に絞る「音楽の世界でビッグスターになる」とその後のサクセスストーリーを考えた吉川は、「まずはスカウトされること」と考えたが、田舎でスカウトされる筈も無く、シビれを切らして渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」などと自ら手紙を書き送りつけた。




渡辺プロの関係者が、高松の松本明子を見に行った帰りに、本当に会いに来てくれて、その後の数度のオーディションを経てナベプロ入り


執念が実るとはまさにこの事。普通の人がしない事を実行する強さは少年時代からあったようだ。




1988年に一時活動を停止した後、渡辺プロダクションから子会社独立と言う形で22歳のとき独立、マネージャーの河村嚴生が代表取締役社長のセブンスエンタープライズ所属になる。レコード会社を東芝EMIに移籍。元BOØWYの布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成し、翌1989年4月にシングル「BE MY BABY」(トヨタ・セラのCM曲)をリリース。


COMPLEXは『BE MY BABY』を含め2枚のシングルと2枚のアルバムをリリースした(いずれもオリコンチャート1位を記録)後、1990年11月8日の東京ドームのライブをもって活動を停止。ビジネス的なことにはまったく興味がなく純粋にロックがやりたかった吉川と、音楽を活動コンセプトやサウンドアプローチからビジネス面までトータルで捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いの喧嘩に発展して活動停止に至った。


布袋、吉川はそれぞれ、当時の音楽雑誌のインタビューで「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友人を失う事はなかった」とコメントしている。

布袋も吉川晃司とつかみ合うくらいの喧嘩の強さなのだろう。


吉川晃司の喧嘩エピソードで有名人なのは、友人ボクサーとの殴り合いだ。

自宅で知人と殴り合いになり、鼻骨および肋骨を骨折させる傷害容疑で、示談は成立していたが書類送検された。

原因は、酒に酔った知人が吉川所有の尾崎豊の形見のギターを蹴った事による。



謝罪会見では、記者の「何発殴ったのか?」との質問に、一方的に殴ったわけじゃなく殴りあいになり、相手もボクシングの経験があると前置きした上で、「ワン、ツー、スリー?」と答える。この3発のパンチを打つ動作を客観的に再現しながら「こう、こう、こう、うん、3発殴った」「泥酔していたといわれているが違う。25%ぐらいの酒なら眞露2、3本くらいなら大丈夫」「僕はちょっと人より力が強いみたいで..」などと発言したシーンがTV放送で流された。プロを相手に、一発目から的確に拳を鼻に打ち込んで鼻骨を折り、二発目で急所の一つといわれる脇の下の肋骨を骨折させたことから、吉田豪らが吉川を“芸能界ケンカ最強”と推す切っ掛けとなった。



その後も俳優の活動は頻繁に行い、楽曲提供なども積極的に行った。


2017年7月21日、左側声帯ポリープが見つかり除去手術を受けることを、日本武道館ライブのアンコールで明らかにした。

しかし吉川晃司は手術は行わないかもしれない。治療に専念するために一年間歌手活動は休止する。

しっかりと治療して素晴らしい歌、パフォーマンスがみたいものだ。






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またも衝撃的な発表があった。歌手、吉川晃司(52)が一年間歌手活動を休止するという!

21日、東京・調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザで公演を行い、昨年7月に公表した左側声帯ポリープの治療で約1年間、歌手活動を休止すると報告した。

 吉川はアンコールで「レアなケースだけど、治療で(ポリープが)小さくなってきて、手術するかは未定」と説明。


続けて、デビュー35周年を迎える来年2月1日、2日に日本武道館公演を開催すると発表。復帰を願うファンからは大歓声がわき起こり、吉川は「復活&35周年的なものになると思う。1年後は笑顔で再会しよう!」と約束した。

吉川晃司はポリープの手術はしないかもしれないが、治療に専念するという。

そして音楽以外の活動は継続するという。

 公演では配信中の「The Last Letter」などを熱唱し、ドラムのシンバルを蹴る「シンバルキック」も披露。

喧嘩が強い!としても有名な吉川晃司。
どんな経歴なのか?


吉川晃司は身長181センチの長身!


1984年にシングル「モニカ」で歌手デビュー。「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。




府中町立府中小学校出身(宇梶剛士も2年まで在学で先輩、竹原慎二は後輩になる。どちらも喧嘩が凄まじく強い!
周りの環境で吉川晃司も強くなったのかもしれない。







世界ジュニア水球選手権大会の日本代表。また2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれたほどの逸材だった。



高校の頃、佐野元春のコンサートを見て、カルチャーショックを受け音楽一本に絞る「音楽の世界でビッグスターになる」とその後のサクセスストーリーを考えた吉川は、「まずはスカウトされること」と考えたが、田舎でスカウトされる筈も無く、シビれを切らして渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」などと自ら手紙を書き送りつけた。




渡辺プロの関係者が、高松の松本明子を見に行った帰りに、本当に会いに来てくれて、その後の数度のオーディションを経てナベプロ入り


執念が実るとはまさにこの事。普通の人がしない事を実行する強さは少年時代からあったようだ。




1988年に一時活動を停止した後、渡辺プロダクションから子会社独立と言う形で22歳のとき独立、マネージャーの河村嚴生が代表取締役社長のセブンスエンタープライズ所属になる。レコード会社を東芝EMIに移籍。元BOØWYの布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成し、翌1989年4月にシングル「BE MY BABY」(トヨタ・セラのCM曲)をリリース。


COMPLEXは『BE MY BABY』を含め2枚のシングルと2枚のアルバムをリリースした(いずれもオリコンチャート1位を記録)後、1990年11月8日の東京ドームのライブをもって活動を停止。ビジネス的なことにはまったく興味がなく純粋にロックがやりたかった吉川と、音楽を活動コンセプトやサウンドアプローチからビジネス面までトータルで捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いの喧嘩に発展して活動停止に至った。


布袋、吉川はそれぞれ、当時の音楽雑誌のインタビューで「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友人を失う事はなかった」とコメントしている。

布袋も吉川晃司とつかみ合うくらいの喧嘩の強さなのだろう。


吉川晃司の喧嘩エピソードで有名人なのは、友人ボクサーとの殴り合いだ。

自宅で知人と殴り合いになり、鼻骨および肋骨を骨折させる傷害容疑で、示談は成立していたが書類送検された。

原因は、酒に酔った知人が吉川所有の尾崎豊の形見のギターを蹴った事による。



謝罪会見では、記者の「何発殴ったのか?」との質問に、一方的に殴ったわけじゃなく殴りあいになり、相手もボクシングの経験があると前置きした上で、「ワン、ツー、スリー?」と答える。この3発のパンチを打つ動作を客観的に再現しながら「こう、こう、こう、うん、3発殴った」「泥酔していたといわれているが違う。25%ぐらいの酒なら眞露2、3本くらいなら大丈夫」「僕はちょっと人より力が強いみたいで..」などと発言したシーンがTV放送で流された。プロを相手に、一発目から的確に拳を鼻に打ち込んで鼻骨を折り、二発目で急所の一つといわれる脇の下の肋骨を骨折させたことから、吉田豪らが吉川を“芸能界ケンカ最強”と推す切っ掛けとなった。



その後も俳優の活動は頻繁に行い、楽曲提供なども積極的に行った。


2017年7月21日、左側声帯ポリープが見つかり除去手術を受けることを、日本武道館ライブのアンコールで明らかにした。

しかし吉川晃司は手術は行わないかもしれない。治療に専念するために一年間歌手活動は休止する。

しっかりと治療して素晴らしい歌、パフォーマンスがみたいものだ。






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