ユニクロ社長の柳井正の経歴が凄い。無個性といえば無個性であり異端児といえば異端児。柳井正の名言も数多くある。 [偉人]
ユニクロ社長柳井正の気になる経歴とは?
苦労話はあるのだろうか?
特別な個性はあるのか?ユニクロのあのシンプルデザインと柳井正の個性や経歴と関係があるのだろうか?
少年時代の柳井正は根っからの異端児だったという。 高校時代のあだ名は「山川」。人が山と言えば、自分は川。人と同じことはしない。
だから「山川」現代の高校生ならそんなアダ名は絶対に付けないだろう。時代を感じる。
3人兄弟で姉と妹がいて、男は柳井が一人だったので大事に育てられたという。柳井正本人が言うには「やわな男の子」だったらしい。
この時点で多くの人に勇気と希望が湧くだろう。
大切に育てられたやわな男が今や日本トップクラスの資産家だ。現代っ子は大切に育てられていてやわな男が多い。草食系男子がその代表だろう。
1949年2月に山口県で生まれ
柳井正は山口県の地方の商店街で育つ。
父が商店街で紳士服の商売をしていた。これこそがユニクロのルーツであり原点なのだ。
柳井正は幼き頃から商売と日常生活が密着していた。
小さい頃は商売にまったく興味はなかったが、毎日のように商売の話を聞いていたので、自然と商いの感覚は身に付いていたと言う。
しかし幼き頃は、商売はあまり儲からないものだと感じていたようだ。
ユニクロ社長柳井正の中学校や高校時代のエピソードや経験はあまり聞かない。
よく成功者の話しで、「中学校時代や高校時代はヤンキーだった、グレていた、スポーツ少年だった、勉学少年だった。。」などの話しを聞くのだが、柳井正の中学校、高校時代の話しはあまり聞かない。
おそらく特に話すエピソードもなかったのかもしれない。
しかし大学は早稲田大学政経学部経済学科卒業と立派な学歴だ。
柳井正の中学、高校時代は勉学にそこそこ励んだのだろう。
努力なしに入れる大学ではない。
大学時代の将来の夢は何だったのか?
多くの資産家は高校生、大学生の時点で将来の明確なビジョンを持ち、壮大な夢を持っているイメージが強い。柳井正も同じように大学生の頃から夢を持っていたのだろうか?
しかし、柳井正は大学時代は特に夢は持っていなかった典型的な無気力学生だったという。
大学の授業もろくに行かず、麻雀やパチンコをして無為に過ごしていた。
自分で商売をしようなんて全く思ってなかった。どうしたら仕事をしないで生きていけるかを考えていたくらいだ、と語る。
仕事をしようという気持ちが全くなかったのだから就職活動もしなかった。
すると父親が「大学を卒業したらどうするんだ」と言われ。
「何も決めてない」と柳井正が言うと、「じゃあ、ジャスコに入れ」
その当時、柳井の父親はジャスコ系列の人と知り合いだったので、言われるがままジャスコに入社した。
しかし入社して、すぐに辞めてしまう。
学生気分が抜けきらずに、働くのが嫌で嫌でしょうがなくなり、半年くらいで辞めた。
何と今では日本トップの経営者なのに、、 社会人になってもまだ、経営者の頭角を表していなかった。
退社後、半年ほどは東京をブラブラする生活を送っていた柳井氏は、友人の家に転がり込んで生活をともにしていた。
友人は就職し、毎朝出社していくのに、自分だけはブラブラしている生活は、柳井氏を憂鬱にさせた。
そんな理由で山口の実家に戻った。
実家に戻ると、父親がやっていた紳士服専門店を一手に任されることになる。
そこで、初めて商売の面白さに気付いた。
従業員のやる気のなさや仕事の効率の悪さを指摘すると、店員は全て居なくなった。
それから柳井氏は20代で責任を一手に引き受けることになった。
しかし、結果としてそれは良かったのだと柳井氏は後々語る。
やったことが自分に返ってくるという面白さを知った柳井正氏は、その後の経歴にこの経験を活かしていった。
そしてユニクロの創業。
柳井正氏の経歴で、一番大きな転換期というのは、やはりユニクロの創業。
柳井氏は1984年に、父の後を受けて小群商事の社長に就任。
「ユニークな衣料(closet)」という意味を持たせて、「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」、通称・ユニクロを開店した。
思いの外ユニクロの歴史は長い。
その第一号店は広島市にオープン。
事業の拡大は中国地方を中心に店舗を増やしていく。
ユニクロの創業にあたって、柳井のアイデアは本屋やレコード店のように、ふらっと寄って、ふらっと出てくることが出来る洋服店をやれないだろうか、ということだ。
そして、その当時はメーカーが小売価格を決めていたので、店舗を経営していても、商売をしているという感覚が薄かったという。
香港で出会ったSPA(製造小売業)。世界を見渡せば、年商数千億のカジュアルチェーンは全てSPA。「だったら日本のチェーン店がやっていることは全部間違っている」。そう考えて、日本でSPAの巨大チェーンを築くことを決意する。
自分たちで商品を作って、自分たちで価格をつけるということが出来ることが、商売の本当の価値なのではないかと思った。
そして柳井正氏は、日本でチェーン展開をしていくユニクロを創業し、経歴を伸ばしていった。
ユニクロ原宿進出で、商品を見直した柳井正氏の経歴で大きな転機はユニクロの創業だが、ユニクロの転換期といえば、原宿出店だろう。
ユニクロの当時のイメージというのは「田舎から出てきた安売りの服屋」。
ファッション雑誌の編集者は、こぞって東京進出は失敗するだろうという見方をしていたのだ。
ダサいファッションであるユニクロは、東京では受け入れられないだろうと思われていたのだ。
*広告
*普通のニュースにHIP HOPが絡む!!
だが、蓋を開けてみればユニクロは東京でも大人気のブランドになった。
そこには、柳井氏の大きな改革があったのだ。
柳井氏は、東京進出、原宿進出を目処に、商品を全て作り直すことを決意。
目玉となる商品は、今では一般的になった「フリース」
そして、納得できる商品しか店頭に置かないように徹底。
その結果が、原宿店の大成功であり、その後のユニクロの進むべき道が見えた瞬間でもあった。
現在、柳井正氏の経歴は、世界でも注目されるものになっている。
ロンドンなどの世界各地で店舗を広げている。
ユニクロ創業当時は、せいぜい30店舗が限界だと思っていた柳井正。
どんなに頑張っていても、売り上げ30億円が精一杯だろうと思っていたようだ。
しかしユニクロの売り上げは30億円を超え始め、個人経営でやっていくには上手くいかないと考え始めた柳井氏は、経営者になる決意をする。
経営者として生きていく決意を下したものの経営は単調でつまらないものであると思いながらも、ユニクロの拡大を進めていく。
その結果が、ロンドンをはじめとする世界進出を進めていった。
若い社員には積極的に海外に行くように勧め、経営者になってほしいという気持ちを伝えているという。
将来的に、若者が活躍できる世の中にすることが、柳井氏の目標だそうだ。
以上がユニクロの社長柳井正のおおまかな経歴だ。
柳井は「自分の力で経営をしよう」と思ったときに、そのためにはどうしたらいいかを考えることが出来ていた。
また
柳井正は名言を数多く残している。
失敗ばかりしている、ほとんど1勝9敗だ。
しかし、その1勝が積み重なって今のユニクロがある。
人知れず苦労はあったのだろう。
柳井正は貧乏の時期などはなかったようだ、そして大失敗して借金にまみれた事もなさそう。
落ちこぼれだった過去でもない。
経営者になる前までは異端児と言われていたとはいえ、異端児のエピソードも少く中学、高校時代のエピソードもない、大学時代に至っては絵にかいたような無個性大学生だったようだ。
だからこそ、あのユニクロのシンプルなデザイン、ディテールが生まれたのかもしれない。
多くの日本人は無個性であるとも言われている。集団意識が高いから無難な洋服を皆好む傾向もあるかもしれない。
様々な要因が重なり柳井正は成功者となったと言えよう。
間違いなく柳井正は本物である。
柳井正の名言は以下に集めたが、経営者らしい納得の名言もあるが、理屈抜きの熱い精心論もある。
経営者のみならず、社会人として人間として必要な名言が多いので参考にすると良いだろう。
あらゆる産業においてナンバーワンが儲かります。ナンバーツーやナンバースリーはそこそこ儲かり、それ以外は儲からない。
時代が変わったという事をもっと認識してほしい。年寄りの言う事を聞いていたら駄目。
リーダーシップとハングリーさが欠けている事は経営者やリーダーとして致命的です。与えられるのを待っているような人は駄目です。
未来を創るのが経営者です。未来を創るという事は、ある意味ではクリエイターなのです。
真っ当に生きれば、怖いものはない。
店を開けていればお客様は来て当然、売れるのは当たり前と考えるのは大間違い。
去年と同じことをやっていたら、お客様はどんどん減って行く。
経営で一番大切なのは顧客の要望に応えることである。顧客の要望に応え、顧客を創造しない限り、商売は出来ない。
顧客の創造が重要です。お客さんが来て「これください」と言われてはじめてビジネスが成立するのです。
会社は自分の為にあるわけではありません。社員の為でもありません。お客様のためです。
終点はありません。企業は満足したらそれで終わりです。
経営者の覚悟とは「会社が存続して成長していく為だったら何でもやる」という気概です。その先頭に立つ覚悟を持つべきです。
逃げたらダメ。砕けても良いから正面から突破することを考えるのが企業家ではないでしょうか。その姿を見たら、絶対誰かが協力してくれるはずです。
単純に商品が良いだけでは売れません。我々が何を目指しているかを理解していただいて初めて商品が売れると考えています。
ブランド戦略=企業創りなので、ブランドをどのように伝えていくかが重要。
「その会社やその事業が無いと困る。世界にとってその会社が絶対必要だ」と思われる企業にしたい。
ビジョンなき事業は売った方がいい。
重要なのは成長し続けること。僕は死ぬまで成長したい。それが一番いい人生だと思うんですよね。
仕事がその人をつくる。
考えないと、会社というのはすぐ潰れます。
未来に向かって次はこういうことをやろうと考えないと、いまのこの位置すら危ない。
昔のことを振り返るのではなく、つねに将来のことを考えないといけない。だから危機感がないところには未来はない、と思います。
個人でも、企業でも、国でも同じ。安心感を持った途端に終わりなんです。「これで達成した」と思った途端に終わり。
現場を経験することは、すごく大事。上から下を見るだけでなく、下から上を見る。上下両方とも経験することで、偏りなく見ることができますから。
自分から進んで、仕事の幅を広げていく必要がある。
経営者が「善い」ことをしようとしているからこそ、周囲は協力する。
日米欧など国・地域によって経営スタイルは違うと言われるが、原理原則はどこでも一緒。
まだ小さな会社でも、夢に共鳴する人が多ければ、事業を拡大できる。
経営者には高い倫理観が求められる。悪だくみや単なる金儲けのために協力してほしいと求めたら、社員も取引先も手を差し伸べてはくれない。
最も重要なのが顧客だ。顧客が不在なら、そもそもビジネスは成立しないからだ。
困難な時代だからこそニーズが産まれる。
既存の枠組みを超えない限りチャンスはつかめない。
仕事は自ら創り出すもの。仕事を見つけるのではなく発明するものです。
つらい時こそ経営者は誇大妄想狂になるべきです。トップが夢を実現しようといわない限り、社員は信用しない。
自分の頭で考えて、実行できる人。こういうものを絶対に作りたいという理想や希望を持って、人の力を引き出せる人でなければ経営者は務まりません。
日本の経営者の多くが勘違いしています。経営は勉強でなく実行です。ビジョンを作って、全社員の力を使って成果を出す。調査や分析が1としたら、実行が30です。
失敗してもそれを認識して行動し、また失敗しても最後までやる。それを早くやれば、絶対に成功する。
規模が大きくなってもやることは変わらない。同じことをやって、より多くの人を幸せにできて、社会に貢献できる。利益を伴っている限り、成長するほどいい。
働く人も経営者もサプライヤーさんも、成長しない会社に何の楽しみがあるんですか。
即断、即決、即実行。考えてもわからないことはサイコロを振れ。またわからなかったら周囲の人に聞け。今はスピードが大切。
常に今日、スタートしたばかりと思って、革新・挑戦し自分を変えていくということが大切。
当社は大きくはありません。大きいことはいいことではありません。大きくなると動きが鈍くなる。もっと俊敏にならないと。
これで安心してはいけません。世界にはまだまだすごい会社がある。世界に通用する会社になるには今のままではいけない。将来に向けて自分たちを変えていかないと。
絶対にこの事業をやりたいという強い思い、情熱があるかどうか。パッションがなければ成功できません。
人生は一回しかない。自分の可能性を試して欲しい。
最近は金儲けの手段として事業をやる人が多すぎます。それでは一定のところまででお終いだし、自分が死んだら終わりです。
社会にとっていい事業、お客様にとっていい事業をやろうと思うことが大切です。そうした事業がお客様に評価されてはじめて売上が上がり、成長できる
若い企業家の中には上場して終わりという人も見受けられる。それでは駄目。一生の仕事としてやってもらいたいですね。
世界の柳井正。これからも期待したい。
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1949年2月に山口県で生まれ
柳井正は山口県の地方の商店街で育つ。
父が商店街で紳士服の商売をしていた。これこそがユニクロのルーツであり原点なのだ。
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すると父親が「大学を卒業したらどうするんだ」と言われ。
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その当時、柳井の父親はジャスコ系列の人と知り合いだったので、言われるがままジャスコに入社した。
しかし入社して、すぐに辞めてしまう。
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何と今では日本トップの経営者なのに、、 社会人になってもまだ、経営者の頭角を表していなかった。
退社後、半年ほどは東京をブラブラする生活を送っていた柳井氏は、友人の家に転がり込んで生活をともにしていた。
友人は就職し、毎朝出社していくのに、自分だけはブラブラしている生活は、柳井氏を憂鬱にさせた。
そんな理由で山口の実家に戻った。
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従業員のやる気のなさや仕事の効率の悪さを指摘すると、店員は全て居なくなった。
それから柳井氏は20代で責任を一手に引き受けることになった。
しかし、結果としてそれは良かったのだと柳井氏は後々語る。
やったことが自分に返ってくるという面白さを知った柳井正氏は、その後の経歴にこの経験を活かしていった。
そしてユニクロの創業。
柳井正氏の経歴で、一番大きな転換期というのは、やはりユニクロの創業。
柳井氏は1984年に、父の後を受けて小群商事の社長に就任。
「ユニークな衣料(closet)」という意味を持たせて、「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」、通称・ユニクロを開店した。
思いの外ユニクロの歴史は長い。
その第一号店は広島市にオープン。
事業の拡大は中国地方を中心に店舗を増やしていく。
ユニクロの創業にあたって、柳井のアイデアは本屋やレコード店のように、ふらっと寄って、ふらっと出てくることが出来る洋服店をやれないだろうか、ということだ。
そして、その当時はメーカーが小売価格を決めていたので、店舗を経営していても、商売をしているという感覚が薄かったという。
香港で出会ったSPA(製造小売業)。世界を見渡せば、年商数千億のカジュアルチェーンは全てSPA。「だったら日本のチェーン店がやっていることは全部間違っている」。そう考えて、日本でSPAの巨大チェーンを築くことを決意する。
自分たちで商品を作って、自分たちで価格をつけるということが出来ることが、商売の本当の価値なのではないかと思った。
そして柳井正氏は、日本でチェーン展開をしていくユニクロを創業し、経歴を伸ばしていった。
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ユニクロの当時のイメージというのは「田舎から出てきた安売りの服屋」。
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ダサいファッションであるユニクロは、東京では受け入れられないだろうと思われていたのだ。
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そこには、柳井氏の大きな改革があったのだ。
柳井氏は、東京進出、原宿進出を目処に、商品を全て作り直すことを決意。
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ロンドンなどの世界各地で店舗を広げている。
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どんなに頑張っていても、売り上げ30億円が精一杯だろうと思っていたようだ。
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2016-01-06 12:52
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