SSブログ

桜井康雄さん死去、泉田純のようなキナ臭い最期てはなく、闘病による闘って死んだ。プロレス人気の礎となった。 [芸能人]

テレビ朝日のプロレス解説者、桜井康雄さん死去…古舘伊知郎アナ、小鉄さんと名トリオだった。


何と桜井康雄さんは
世紀の対決で歴史的名勝負、、はたまた一世一代の大茶番とも評された
「ムハマドアリ対アントニオ猪木」を実現させた影の立役者でもあった。


 テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」の解説者として1980年代のプロレスブームを盛り上げた東京スポーツ新聞社元編集局長の桜井康雄さんが10日、神奈川県内の病院で亡くなったことが11日、分かった。80歳だった。通夜は15日午後6時から、告別式は16日午前11時から。いずれも神奈川県厚木市のJAあつぎ第2グリーンホールで営まれる。



 関係者によると、桜井さんは心臓疾患を抱えており、ペースメーカーを入れる手術を行ったが、感染症を引き起こしたという。

つまり桜井康雄さんは闘病の末に亡くなった。プロレス関係者らしく闘って死んだのだ。
2月に亡くなった泉田純はヤクザの繋がりなどを怪しまれて亡くなった悲運なプロレスラーだったが
桜井康雄さんはプロレス関係者らしく闘って亡くなった。
*プロレスラー泉田純さん死去でヤクザとの繋がりを勘ぐられる、、







桜井さんは法大を卒業後、東京スポーツへ入社。
東京スポーツでは記者としても活躍。
プロレス記者として活躍しテレビ朝日が中継した新日本プロレスの解説者としてファンに親しまれた。

写真をみればプロレスファンならば鮮明に思い出すはずだ。



たしかに桜井康雄さんは山本小鉄さんや古舘伊知郎に比べればテレビ露出は少ないが確実にプロレスファンの耳に臨場感を届けた。








特に毎週金曜夜8時に中継されていた1970年代後半から80年代の新日本全盛期では、実況の古舘伊知郎アナウンサー、解説者の故・山本小鉄さんとのトリオでお茶の間を沸かせた。

 訃報を聞いた新日本プロレス元営業本部長の新間寿さん(82)は「昭和のプロレスは東京スポーツあってのプロレスだった。桜井さんは東スポを代表して取材していただいて、いろいろな面で協力もしていただいた。テレビ解説も名調子で本当にお世話になりました」と悼んだ。

 新間さんにとって一番の思い出は1976年6月26日に日本武道館で行ったアントニオ猪木とムハマド・アリとの世紀の一戦で「この時、資金繰りで真っ先に東京スポーツへお願いに行ったところ、桜井さんが自分の退職金を担保にして上司とかけあって3000万円を出してくれました。本当に大変な時だったので桜井さんの好意がなければあの試合は実現しなかった。昭和の新日本プロレスを支えた戦友です」と新間さんは話した。告別式で弔辞を読む予定という。


プロレスの低迷で忘れていた人もいるかもしれないが、今のMMA総合格闘技人気の礎となったのはやはりプロレスだ。

桜井康雄さんの魂を受け継ぐにはプロレスの再燃に走るしかない。

後続の育成棚橋を越えるスター選手の排出、闘魂三銃士に匹敵するスター選手。


そして桜井康雄さんや山本小鉄さん、古舘伊知郎のような爆発力がある概説と中継!
これからのプロレスにも期待したい。


泉田純のようなキナ臭いヤクザとの繋がりを怪しまれてなくなるのは本望ではないはずだ。
プロレス界の悪い慣習は棄て新しいクリーンなプロレスで魅了して欲しい







桜井康雄さん心よりご冥福をお祈りします

スポンサードリンク


nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

桜井康雄さん死去、泉田純のようなキナ臭い最期てはなく、闘病による闘って死んだ。プロレス人気の礎となった。:B-BOYが発信する生活ニュース:So-netブログ
SSブログ

桜井康雄さん死去、泉田純のようなキナ臭い最期てはなく、闘病による闘って死んだ。プロレス人気の礎となった。 [芸能人]

テレビ朝日のプロレス解説者、桜井康雄さん死去…古舘伊知郎アナ、小鉄さんと名トリオだった。


何と桜井康雄さんは
世紀の対決で歴史的名勝負、、はたまた一世一代の大茶番とも評された
「ムハマドアリ対アントニオ猪木」を実現させた影の立役者でもあった。


 テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」の解説者として1980年代のプロレスブームを盛り上げた東京スポーツ新聞社元編集局長の桜井康雄さんが10日、神奈川県内の病院で亡くなったことが11日、分かった。80歳だった。通夜は15日午後6時から、告別式は16日午前11時から。いずれも神奈川県厚木市のJAあつぎ第2グリーンホールで営まれる。



 関係者によると、桜井さんは心臓疾患を抱えており、ペースメーカーを入れる手術を行ったが、感染症を引き起こしたという。

つまり桜井康雄さんは闘病の末に亡くなった。プロレス関係者らしく闘って死んだのだ。
2月に亡くなった泉田純はヤクザの繋がりなどを怪しまれて亡くなった悲運なプロレスラーだったが
桜井康雄さんはプロレス関係者らしく闘って亡くなった。
*プロレスラー泉田純さん死去でヤクザとの繋がりを勘ぐられる、、







桜井さんは法大を卒業後、東京スポーツへ入社。
東京スポーツでは記者としても活躍。
プロレス記者として活躍しテレビ朝日が中継した新日本プロレスの解説者としてファンに親しまれた。

写真をみればプロレスファンならば鮮明に思い出すはずだ。



たしかに桜井康雄さんは山本小鉄さんや古舘伊知郎に比べればテレビ露出は少ないが確実にプロレスファンの耳に臨場感を届けた。








特に毎週金曜夜8時に中継されていた1970年代後半から80年代の新日本全盛期では、実況の古舘伊知郎アナウンサー、解説者の故・山本小鉄さんとのトリオでお茶の間を沸かせた。

 訃報を聞いた新日本プロレス元営業本部長の新間寿さん(82)は「昭和のプロレスは東京スポーツあってのプロレスだった。桜井さんは東スポを代表して取材していただいて、いろいろな面で協力もしていただいた。テレビ解説も名調子で本当にお世話になりました」と悼んだ。

 新間さんにとって一番の思い出は1976年6月26日に日本武道館で行ったアントニオ猪木とムハマド・アリとの世紀の一戦で「この時、資金繰りで真っ先に東京スポーツへお願いに行ったところ、桜井さんが自分の退職金を担保にして上司とかけあって3000万円を出してくれました。本当に大変な時だったので桜井さんの好意がなければあの試合は実現しなかった。昭和の新日本プロレスを支えた戦友です」と新間さんは話した。告別式で弔辞を読む予定という。


プロレスの低迷で忘れていた人もいるかもしれないが、今のMMA総合格闘技人気の礎となったのはやはりプロレスだ。

桜井康雄さんの魂を受け継ぐにはプロレスの再燃に走るしかない。

後続の育成棚橋を越えるスター選手の排出、闘魂三銃士に匹敵するスター選手。


そして桜井康雄さんや山本小鉄さん、古舘伊知郎のような爆発力がある概説と中継!
これからのプロレスにも期待したい。


泉田純のようなキナ臭いヤクザとの繋がりを怪しまれてなくなるのは本望ではないはずだ。
プロレス界の悪い慣習は棄て新しいクリーンなプロレスで魅了して欲しい







桜井康雄さん心よりご冥福をお祈りします

スポンサードリンク


nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0