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貴ノ浪の訃報で武蔵丸からの言葉は?数奇な運命の二人とも言えるので武蔵丸からの言葉が聴きたい。 [ニュース]

またしても大きい悲しみが日本を襲った。元大関の貴ノ浪(音羽山親方)が急死した。
死因は急性心不全まだ43歳だった。

平成の大相撲が盛り上がった時代、通称:若貴時代に活躍した大関だ。貴ノ浪はその現役時代から心臓に持病があったようだ。

現役時代は「スケールの大きい相撲」と言われていたが基本を無視した型破りな相撲をとっていた。今現在こんな力士はいない。

相手に両差しをとられたら普通の力士は万事休す、、しかし貴ノ浪は違う。貴ノ浪はこれからが万全の体制なのだ!196cmの長身貴ノ浪は懐に潜り込んで両差しをとっている相手の上からお構い無しに上手をとって強引に投げる!吊り出す!押し出す!
そう、長身を生かして引っ張り込み、肩越しにまわしをつかんで豪快な上手投げ、さらに意表を突くかわず掛けも繰り出す。
これぞ貴ノ浪の真骨頂で得意の取り口だ。

若貴フィーバーに沸いた90年代前半の大相撲界で、豪快だがファン泣かせのハラハラする取り口と気の利いたコメントで特異なキャラクターを確立。

2回の幕内優勝は、いずれも同部屋の横綱貴乃花との優勝決定戦を制してつかんだものだった。


土俵上では異彩を放ち、気さくな性格と負けん気の強さでとても多くのファンがいた。人はどこか抜けている人間臭い人間が好きだからだ。

そして、貴ノ浪といえば忘れてはならない存在が武蔵丸だ。
貴ノ浪は「マルだけには負けたくない」とライバル心剥き出しで武蔵丸と戦っていた。その対戦回数は何と史上最多の58回!

武蔵丸と貴ノ浪は同じ歳で同時に入幕して、
 1994年1月に大関昇進が決まり同時に大関になり、しかも互いにライバルとして意識もしていた。
…とくれば、数多い対戦の中に熱戦が繰り広げられたろうと想像できる、 だが珍勝負こそあれ名勝負は少なく、相撲内容だけをとると地味であったり、平凡な取り組みが多かった。またそこがこの二人の良さでもある。

幕内58回、優勝決定戦 1回、十枚目 1回、都合60回を数えた。 これは正しく快記録だろう。


1999年3月場所は、場所終盤の11日目から3横綱(貴乃花・若乃花・曙)・1大関(千代大海)らが休場するという異常事態により、上位陣は貴ノ浪と武蔵丸の2大関だけという展開になった。
しかしその後の両者は連勝を続けて、14日目では共に12勝2敗の成績を挙げ、千秋楽結びの一番で大関同士の相星決戦となった。
結果貴ノ浪は武蔵丸に寄り切りで敗れ、惜しくも12勝3敗の優勝次点だった。ライバル同士しっかりと上位陣の責任を果たして場所を盛り上げた。恐らく二人の責任感とプレッシャーは想像を遥かに上回るだろう。




2003年7月場所では、前頭3枚目の地位で横綱武蔵丸に勝利して2度目の金星獲得となったが、この場所が武蔵丸との現役最後の対戦となった。

横綱だった武蔵丸は2003年11月場所限りで現役引退を表明、その事に際して貴ノ浪は、「寂しい...」と人目もはばからず号泣していた。それからわずか4場所後の2004年5月場所で、貴ノ浪自身も現役引退となった。


体のデカさもスケールも大きかったが情の熱さも大きい男だった。



もはや武蔵丸と貴ノ浪の運命は数奇的とも言える。貴ノ浪は引退後武蔵丸とはライバルとして一線を引いていたので「武蔵丸、携帯番号教えてよ」と、、言いたいのをグッと我慢していたと笑いながら話す事もあった。

貴ノ浪のファンとしては今回の訃報に際して一番欲しいのは武蔵丸からの貴ノ浪への言葉だ。

武蔵丸の心境は今どんな思いなのか?

武蔵丸から貴ノ浪への悲しみの声は今のところ以下の通りだ。

武蔵丸は「気持ちの整理がつかない」と早すぎる別れを惜しんだ。
武蔵丸(武蔵川親方)は「今の関取にはない、しぶとさを持っていた。リーチが長く、足技もあり、何をしてくるかわからない。嫌な相手だった」と振り返る。
2003年九州場所で自らが引退した際に「(貴ノ浪が)支度部屋で泣いてくれた。なんて心の広い人なんだと思った」と懐かしんだ。
04年夏場所まで現役を続けた貴ノ浪に武蔵川親方は「けがをしないようにと思って見ていた」と思いやった。
 現役中は対戦相手であり、あまり話さなかったという2人も、引退後は打ち解けた。

「相撲の話はしないが、酒や食べ物の話をして、冗談ばかり言っていた」と武蔵川親方(武蔵丸)は語った。
「友達が1人、いなくなってしまった」と、寂しそうにつぶやいた。

涙があったかどうかはわからないが、心の中では号泣していたに違いない。

恐らくまだ現実味をおびていないのだろう。 それはそうだ誰だって信じたくない。。。



ライバルといえば貴ノ浪と武蔵丸も有名だが、霧島と小錦のライバル関係も熱い物があった。
霧島と小錦の対戦成績は19勝19敗の全くの互角。
霧島引退の時に小錦と交わしたタッチが印象深い。

貴ノ浪と武蔵丸は58回の対戦で21勝37敗だがお互いの大関時代にはほぼ互角だった印象だ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
大相撲の元大関貴ノ浪の音羽山親方(本名・浪岡貞博=なみおか・ただひろ)
急性心不全のため大阪市内のホテルから搬送中に死去した。43歳だった。196センチの長身を生かした豪快な取り口で幕内優勝を2回、大関に37場所在位した。通夜は21日午後7時、葬儀・告別式は22日午後0時半から名古屋市守山区苗代2-1812、平安会館守山斎場で。喪主は未定。

 

 元大関貴ノ花の藤島親方(当時)にスカウトされ、1987年3月に藤島部屋に入門して初土俵を踏んだ。1年後には師匠の息子である若花田・貴花田兄弟が華々しくデビュー。スピード出世で瞬く間に関取に昇進した。兄弟から1年以上遅れて十両に昇進、本名の浪岡から貴ノ浪と改名したものの、高い潜在能力を評価していた師匠は「上がるのが1年遅い」と辛口だった。


現役を引退して年寄・音羽山を襲名した。

 貴乃花部屋で後進の指導にあたっていたが、現役時代から心臓に持病があり、06年1月場所直後に心房細動、敗血症などで緊急入院。一時は心停止で生命も危ぶまれたものの、手術を受けて容体が安定し3月に退院した。ことし2月からは貴乃花一門から初めて審判委員に起用され、土俵下から勝負判定に鋭い目を光らせていた。

また解説者としての評価も高く、辛口な評価や優勝予想の的中率の高さなどで人気があった。


ちなみに貴乃花親方も音羽山親方の訃報に困惑、気丈に振る舞うも「悔やみきれない」と唇を噛んでいた。

やはり数奇な運命である武蔵丸から貴ノ浪への言葉は深かった。

きっとあの世で師匠である二子山親方に「来るのが早すぎる!」と怒られているだろう。
心よりご冥福をお祈りします。







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貴ノ浪の訃報で武蔵丸からの言葉は?数奇な運命の二人とも言えるので武蔵丸からの言葉が聴きたい。 [ニュース]

またしても大きい悲しみが日本を襲った。元大関の貴ノ浪(音羽山親方)が急死した。
死因は急性心不全まだ43歳だった。

平成の大相撲が盛り上がった時代、通称:若貴時代に活躍した大関だ。貴ノ浪はその現役時代から心臓に持病があったようだ。

現役時代は「スケールの大きい相撲」と言われていたが基本を無視した型破りな相撲をとっていた。今現在こんな力士はいない。

相手に両差しをとられたら普通の力士は万事休す、、しかし貴ノ浪は違う。貴ノ浪はこれからが万全の体制なのだ!196cmの長身貴ノ浪は懐に潜り込んで両差しをとっている相手の上からお構い無しに上手をとって強引に投げる!吊り出す!押し出す!
そう、長身を生かして引っ張り込み、肩越しにまわしをつかんで豪快な上手投げ、さらに意表を突くかわず掛けも繰り出す。
これぞ貴ノ浪の真骨頂で得意の取り口だ。

若貴フィーバーに沸いた90年代前半の大相撲界で、豪快だがファン泣かせのハラハラする取り口と気の利いたコメントで特異なキャラクターを確立。

2回の幕内優勝は、いずれも同部屋の横綱貴乃花との優勝決定戦を制してつかんだものだった。


土俵上では異彩を放ち、気さくな性格と負けん気の強さでとても多くのファンがいた。人はどこか抜けている人間臭い人間が好きだからだ。

そして、貴ノ浪といえば忘れてはならない存在が武蔵丸だ。
貴ノ浪は「マルだけには負けたくない」とライバル心剥き出しで武蔵丸と戦っていた。その対戦回数は何と史上最多の58回!

武蔵丸と貴ノ浪は同じ歳で同時に入幕して、
 1994年1月に大関昇進が決まり同時に大関になり、しかも互いにライバルとして意識もしていた。
…とくれば、数多い対戦の中に熱戦が繰り広げられたろうと想像できる、 だが珍勝負こそあれ名勝負は少なく、相撲内容だけをとると地味であったり、平凡な取り組みが多かった。またそこがこの二人の良さでもある。

幕内58回、優勝決定戦 1回、十枚目 1回、都合60回を数えた。 これは正しく快記録だろう。


1999年3月場所は、場所終盤の11日目から3横綱(貴乃花・若乃花・曙)・1大関(千代大海)らが休場するという異常事態により、上位陣は貴ノ浪と武蔵丸の2大関だけという展開になった。
しかしその後の両者は連勝を続けて、14日目では共に12勝2敗の成績を挙げ、千秋楽結びの一番で大関同士の相星決戦となった。
結果貴ノ浪は武蔵丸に寄り切りで敗れ、惜しくも12勝3敗の優勝次点だった。ライバル同士しっかりと上位陣の責任を果たして場所を盛り上げた。恐らく二人の責任感とプレッシャーは想像を遥かに上回るだろう。




2003年7月場所では、前頭3枚目の地位で横綱武蔵丸に勝利して2度目の金星獲得となったが、この場所が武蔵丸との現役最後の対戦となった。

横綱だった武蔵丸は2003年11月場所限りで現役引退を表明、その事に際して貴ノ浪は、「寂しい...」と人目もはばからず号泣していた。それからわずか4場所後の2004年5月場所で、貴ノ浪自身も現役引退となった。


体のデカさもスケールも大きかったが情の熱さも大きい男だった。



もはや武蔵丸と貴ノ浪の運命は数奇的とも言える。貴ノ浪は引退後武蔵丸とはライバルとして一線を引いていたので「武蔵丸、携帯番号教えてよ」と、、言いたいのをグッと我慢していたと笑いながら話す事もあった。

貴ノ浪のファンとしては今回の訃報に際して一番欲しいのは武蔵丸からの貴ノ浪への言葉だ。

武蔵丸の心境は今どんな思いなのか?

武蔵丸から貴ノ浪への悲しみの声は今のところ以下の通りだ。

武蔵丸は「気持ちの整理がつかない」と早すぎる別れを惜しんだ。
武蔵丸(武蔵川親方)は「今の関取にはない、しぶとさを持っていた。リーチが長く、足技もあり、何をしてくるかわからない。嫌な相手だった」と振り返る。
2003年九州場所で自らが引退した際に「(貴ノ浪が)支度部屋で泣いてくれた。なんて心の広い人なんだと思った」と懐かしんだ。
04年夏場所まで現役を続けた貴ノ浪に武蔵川親方は「けがをしないようにと思って見ていた」と思いやった。
 現役中は対戦相手であり、あまり話さなかったという2人も、引退後は打ち解けた。

「相撲の話はしないが、酒や食べ物の話をして、冗談ばかり言っていた」と武蔵川親方(武蔵丸)は語った。
「友達が1人、いなくなってしまった」と、寂しそうにつぶやいた。

涙があったかどうかはわからないが、心の中では号泣していたに違いない。

恐らくまだ現実味をおびていないのだろう。 それはそうだ誰だって信じたくない。。。



ライバルといえば貴ノ浪と武蔵丸も有名だが、霧島と小錦のライバル関係も熱い物があった。
霧島と小錦の対戦成績は19勝19敗の全くの互角。
霧島引退の時に小錦と交わしたタッチが印象深い。

貴ノ浪と武蔵丸は58回の対戦で21勝37敗だがお互いの大関時代にはほぼ互角だった印象だ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
大相撲の元大関貴ノ浪の音羽山親方(本名・浪岡貞博=なみおか・ただひろ)
急性心不全のため大阪市内のホテルから搬送中に死去した。43歳だった。196センチの長身を生かした豪快な取り口で幕内優勝を2回、大関に37場所在位した。通夜は21日午後7時、葬儀・告別式は22日午後0時半から名古屋市守山区苗代2-1812、平安会館守山斎場で。喪主は未定。

 

 元大関貴ノ花の藤島親方(当時)にスカウトされ、1987年3月に藤島部屋に入門して初土俵を踏んだ。1年後には師匠の息子である若花田・貴花田兄弟が華々しくデビュー。スピード出世で瞬く間に関取に昇進した。兄弟から1年以上遅れて十両に昇進、本名の浪岡から貴ノ浪と改名したものの、高い潜在能力を評価していた師匠は「上がるのが1年遅い」と辛口だった。


現役を引退して年寄・音羽山を襲名した。

 貴乃花部屋で後進の指導にあたっていたが、現役時代から心臓に持病があり、06年1月場所直後に心房細動、敗血症などで緊急入院。一時は心停止で生命も危ぶまれたものの、手術を受けて容体が安定し3月に退院した。ことし2月からは貴乃花一門から初めて審判委員に起用され、土俵下から勝負判定に鋭い目を光らせていた。

また解説者としての評価も高く、辛口な評価や優勝予想の的中率の高さなどで人気があった。


ちなみに貴乃花親方も音羽山親方の訃報に困惑、気丈に振る舞うも「悔やみきれない」と唇を噛んでいた。

やはり数奇な運命である武蔵丸から貴ノ浪への言葉は深かった。

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